養子を貰うのではなく、不妊治療をしている夫婦の動機づけには通常『自分の遺伝子を継ぐ子が欲しい』がある。そこを考えれば、女性(妻)だけが第三者の卵子提供を受けるという事に抵抗(代理母的な不本意な思い)が出ることは当然想定される事だろう。
<生殖補助医療>第三者から卵子「望む」男性は女性の2倍 (毎日新聞 – 06月05日 23:15)
アメリカでは第三者からの精子・卵子の提供の自由化(ビジネス化)が進んでいるとも言われるが、突き詰めると好ましい外見・能力・履歴を持つ第三者の精子・卵子を組み合わせる(自らの配偶子と組み合わせる)『デザイナー・ベビー』の倫理的問題も生じ、『不妊治療と異なる優生思想的な目的・動機』が前面に出てくる。
デザイナーベビーや試験管ベビーとかが、生命倫理学的なテーマとして取り上げられる事があるが、その根底には『犠牲なき生命の選別とビジネス化・恋愛(性交渉)の同意なき生殖や育児など科学主義的・恣意的な優生思想』の問題がある。そこに不妊治療の正当性や代理母の要請が絡むと、倫理的是非の判断は複雑になる。
一昔前は不妊治療さえ自然の摂理に反するとか助成金は出せないとかの批判もあったが、現在では自分の遺伝子を継ぐ子が欲しい不妊治療そのものは概ね市民権を得たと言って良い。夫婦いずれかの配偶子が機能しない場合に『第三者の精子・卵子をランダムではなく条件的に選別して良いか』は生命倫理学的な一つの壁ではある。
生殖補助医療において、第三者からの卵子提供を「望む」男性は女性の2倍というのは、男性は自分の精子を使用するのだから、『配偶者に対する申し訳なさ・二人の遺伝子を継ぐ子へのこだわり』以外の抵抗感・拒絶感は生じにくいし、第三者の卵子に恣意的な好みの選別ができるなら、尚更抵抗は弱いことになる。
生殖医療に対する賛否の対立は歴史的に根深いものがあるが、反対意見の中心にあるのは『自然の摂理・両性生殖の原則に反する』というものなのだろう。人間は恋愛・性行為に対しては相手を吟味して選別するし、生理的嫌悪があれば関係は持ちづらいが自分の身体から離れて冷凍保存された配偶子自体へのこだわりは一般に弱い。
ロマンティックラブを前提とした愛する二人の子供ということへのこだわりや血縁主義(家・一族)の信仰・信念が、『生殖補助医療の過剰な介入・規制撤廃』の防御壁になっているが、熱狂的な異性愛・性愛へののめり込みが弱っている現代において、この種の生命倫理学的・優生学的なタブーが挑戦を受ける恐れはある。