乙武洋匡さんが離婚も視野に入れて家族と別居:子育て・介助・不倫の絡む複雑な問題

女性の存在に薄々気づきながらも、三人の子育てと乙武さんの介助を両立する事が体力的・時間的に不可能な奥さんが、不倫に助けられた面があるの指摘は重い。見て見ぬ振りをしていたが、メディアが暴けば対世間で常識的対応をしないわけにはいかない。

乙武洋匡氏が家族と別居、離婚を視野に入れた話し合い

乙武洋匡さんは社会経済的には健常者以上の力を持つ凄い人だけれど、自宅のドアさえ自分で開けられない(深夜・早朝でも奥さんが開けてあげないと入れない)など、やはり誰かの介助を受けなければ通常の生活がままならないのだが、奥さんは『自分で何でもできると語る乙武氏のイメージ』を守ってあげたかったのもあるはず。

乙武さんはメディア向けでは『自分の日常生活に関してはすべて自分で自立してできる(他者の介助抜きで不都合はない)』としていたが、実際の日常生活では奥さんの介助・支援がなければできないことも多かった。奥さんは夫の乙武さんに自分の介助が必要と語ったことはなく、生活面で自立した人のように見せてくれていた。

先天性四肢切断の身体障害は通常なら手厚い介助を要する重い障害で、職業活動もままならない。乙武さんは生来のポジティブな性格と努力家の根性でかなり生活動作の面で自立していたが、それでも健常者同等の自立は困難だった。不倫云々の感情を超え、複数の子の育児と障害者の介助の両立の不可能性という現実が根本にある。

不倫問題で非難されている時の乙武さんのコメントで『子供が産まれて嬉しかったが、育児を何も手伝えないどころか逆に妻に手間をかけてしまう自分が情けなかった』は印象に残る。不倫の言い訳にも聞こえるが、三人の子育てで疲れきった相手に、更に自分の世話をさせなければならないつらさ・自尊心の傷つきは想像可能だ。

奥さんは『半別居生活(乙武氏が事務所で寝泊りして家に帰らない生活)』によって、三人の育児+夫の介助という物理的に不可能な負担を免れる事ができたが、これは『世間に不倫を知られない限り』においてのみ有効だった。そこに不倫もあったと暴露された以上、夫が自宅に帰らない生活の黙認は常識的に困難となった。

乙武さんは自分を健常者と全く同じ機能を持つ存在としてアピールしたいから、『不倫問題』を『自分の女好き・モテ・遊びの誘惑』の側面からだけ語るし、奥さんもそのプライドに配慮し『放っておいた自分が悪い』と語ることになる。

しかし、根本に不倫相手もまた夫の生活面の困難をサポートしてくれる人であったろうという事(それ故に奥さんが全面的に不倫相手を非難したり否定したりという気持ちだけにはなりにくかったかもしれないという事)があるので、一般的な不倫問題のような分かりやすい『裏切り・嫉妬の感情』だけで語ることは難しいように思う。

スポンサーリンク