改憲賛成の議員が多数派を形成。“96条の先行改憲・9条の平和主義・13条の基本的人権”をどう考えるか:1

現行日本国憲法の価値は、『国家権力の支配的な強制や統制(抑圧)からの自由=個人の人権』を近代啓蒙主義のエッセンスによって、ほぼ完璧に保護する条文の構成を持っていることにある。膨大な犠牲・被害を出した大東亜戦争の敗戦時に、憲法9条の平和主義・戦争放棄、憲法13条の基本的人権の尊重をはじめとする条文は、日本国民を再び戦争の惨禍に引きずり込まない立憲主義(全体に対する個人の尊重原理)の防波堤として、大多数の国民から歓迎された。

参院選:改憲賛成派、当選者の74%…民主、公明にも

満州事変勃発・治安維持法成立の後の大日本帝国は『国体思想(天皇制)』に基づく言論・思想が統制される全体主義国家であり、『個人の尊厳・自由』などはなく個人はあくまで全体国家を構成する『兵力・労働力の部品(天皇陛下に全てを捧げる赤子)』であって、自分自身・家族を大切にして生命を惜しみ戦争を避けることは『臆病な非国民の精神・裏切り物の思想』として侮蔑され懲罰された。

戦争が激化するにつれて議会政治が翼賛体制で停止され、軍部と右翼勢力(北一輝・大川周明・井上日召・西田税など)の連携、それを支持する素朴な大衆によって戦争に反対する意見を表明したり徴兵を拒否したりすることがほぼ不可能となる。

太平洋戦争の主戦力を喪失したミッドウェー海戦以降は、『全滅すると分かっている南洋諸島の防衛戦』に残っていた師団を投入して兵力をいたずらに損耗させ続けた。軍隊も警察も世論もマスメディアも、戦勝・快進撃・撃破の連続を伝える大本営発表を捏造して賞賛し、『絶対国防圏』を突破されてから敗戦濃厚となり犠牲者が増え続けても、日本はどれだけ戦死者を出しても最後には勝つ(天皇御座所の本土決戦で迎撃して神風を吹かせる)という幻想を決して捨てなかった。

戦争末期には『一億玉砕』がスローガンとして掲げられ、特攻隊・人間魚雷のような自爆攻撃が繰り返されたように、日本軍は『国民の生命』を守る軍隊ではなく『国体(天皇制)・領土と権益・軍部の威信』を守る軍隊としての性格を強めていき、天皇陛下を長野県の地下施設『松代大本営』に移動させて日本軍・日本人が全滅の危機に瀕しても(日本人全体を国体の盾にしても)、天皇と三種の神器さえあれば大日本帝国をいつか復興できるという『妄想的な神話』に取り付かれていた閣僚・軍幹部も少なからずいたのである。

9条改正は、こういった国家権力による国民の道具化、戦争事態(軍・警察の治安維持のエスカレート)による国民の犠牲・抑圧という過酷な歴史を踏まえた上で行わなければならず、『国家(権力機構)』と『国民(自分)』は一心同体なのだからどんな義務を課されても構わない、死ぬことも厭わないというロマンティシズム(国民国家に酔うような物語性)や洗脳教育の危険制を十分に政治家が理解していなければならないのである。

遅れてきた帝国主義国家の様相を見せる中国への警戒感の高まりは理解できないでもないが、『軍事的な対抗・軍拡競争の激化』では日中双方にとって不測の事態と国民感情の悪化(戦争肯定の民意)を招くリスクが高まるだけであり、そもそも中国にとっても日本と国家間戦争をする必要性もメリットもない。

中国が日本本土を不意打ちで軍事的に侵略・占領する恐れがあるから、9条改正をして国防軍を強化したり空母・ミサイル保有で攻撃能力を高めなければならないという保守主義者の意見は、国際政治・経済的な相互依存のリアリズムを無視した空論である。中国が一方的に日本をミサイル攻撃したり強襲部隊を上陸させれば、その時点で国際社会の信任を失って国連や自由主義圏の制裁対象(仮想敵)になるだけでなく、『日中米貿易の巨大市場(相互依存性のある生産力)』と『国際証券市場・国際投資市場の地位』を同時に失って中国元が大暴落する、カントリーリスク上昇で外国人投資家・外国企業も即座に撤退してしまう。

中国の通貨が暴落して投資市場も機能しなくなれば、国内雇用が崩壊して大混乱(各地での暴動発生)に陥るわけだから、戦争が継続不可能などころか中国共産党の支配体制そのものが短期間で崩壊してしまう。中国の政治的・経済的エリートはバカではないし共産党幹部が単純なナショナリストであるはずもない、グローバリズムが不可避であることを理解した上で、『中国人民の格差・不満・閉塞』を緩和するために対日の民族感情や歴史問題、僻地の領土紛争を利用している政策的な仕組みがある。

大国同士は、戦争をしたくてもできない『時代状況・世論(個人主義と人権意識)・国際法制・グローバル経済環境(相互依存性)・不経済性(メリットの無さ)』が強まっているという前提を認識すれば、『過去の国家主義・集団の熱狂・戦争ありきへの逆行』よりも『未来に向けた国際協調主義・個人の理性・戦争放棄への漸進』を志向すべきだと考えるのが道理である。