美人は得するのか?:現代のビジュアリティー重視の外見重視主義(ルッキズム)と潜在的差別

美人は人から好かれやすく異性の人心掌握が容易、相対的な見た目のコンプレックスが殆どない意味の得はあるが、『好まざる人を引きつける・能力や人柄への過度の期待・順境と援助が続く事での努力の軽視』で損もある。

美人は得?実は損してる?ニコニコニュースユーザーの意見をまとめてみた

美人の強みは端的には『表情・愛想・態度だけでかなりの人を動かせる(勝手に寄ってきて動く)』ことで、一般にはまず無い力だろう。人からの好意・援助を受けやすく相手が自分の内面も実際以上に美化してくれるので『素直・のんびりor傲慢・自惚れ』で性格は分化する。優越感は表面に出なければ更に謙虚と評価は高まる。

美人で損しやすいのは『周囲に合わせない人・独り(静かな環境)が好きな人・自分の力だけで物事を動かそうとする人・傲慢で魅力を鼻にかける人』であり、これらは『人を引きつけて自分を立てる方向(悪くしない方向)で動いてくれる』という美人の長所を自ら捨てて、美貌を鼻にかけ人を見下している等の誤解を招きやすい。

静かな環境や独りが好きでも、外見が人並み以上で目立てば有象無象が近寄ってくる、つれない態度で冷たく断ったり仲間を作らなければ『(一般の人以上に)冷淡・自惚れ屋・お高く止まった・変人・面白くない(顔だけのつまらない人)のレッテル』を貼られ疎外感を味わう。人と距離を置く事にマイナスの意味づけをされやすい。

人と距離を置く事にマイナスの意味づけをされるのは『美人=人から見つめられ気にされる人』の現れで、知人に笑顔を向け挨拶すれば手放しで人柄の賞賛、無表情で一瞥しそっぽを向けば人格否定(心がない)にもなる。人は美人の目線を自分の魅力の査定として捉えやすく、特に若者は美人の友人を自分の魅力強化の如く自慢する。

衣食住に事欠く昭和期までは『人は見た目より中身(真面目で働き者かどうか)』の労働道徳の方が支配的で、むしろ外見を気にする心や人を快楽に誘惑する美人が批判されたりもした。『家柄・身分格式の貴族文化』が『見た目・享楽の大衆文化』に逆転され婚姻・労働の秩序の乱れを明治の閨閥の支配層が恐れた云々の説も。

現代ほどビジュアルが問題にされる時代は過去にはない、一般庶民が自分の自己像を気にして写真を撮影、人に見せるような時代も当然なかったが、マスメディアや芸能、ネットの進歩で『膨大無数の男女の肖像』を比較するようになった事も関係する。人を接遇する外見も小奇麗にしなければならないサービス業増加もある。

人気芸能人は日常の何気ない自分が写った写真をアップするだけで『数千件以上のイイね!・絶賛のコメント』が瞬時につく。水着姿なら数万件はつくらしい。美人は肖像アップだけで承認欲求が満たされるSNS適応性を持つが、ビジュアル主義のライトな空気は不美人な芸人を過度にバカにする等の文化で潜在的な差別構造も生む。

ビジュアル主義の弊害は『目に見えないものの価値』をあたかもなかったかのように取り扱ったり、『内面は外見に出る』という印象論が影響力を振るったりすることにもある。障害者などの差別も『目に見える美醜だけでの安直な人間の価値判断』という軽薄なビジュアル主義、本質を考察する精神力低下の影響は小さくはない。

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