ブルカ規制は実用面では『テロ防止・顔による個人認証』であり、宗教面では『キリスト教圏の文化維持(ブルカの女性増による自国の異邦化抑制)』である。人権面の『男女平等・女性の主体化』もある。
ブルカは父権宗教であるイスラム教やムスリム共同体の婚姻・家族制度と切り離しては考えにくい。ドイツのメルケル首相は『ブルカは女性の社会統合の機会を失わせる』と述べたが、ブルカは『女性の財物化(庇護的な家長の父親・夫に所有され他に姿を見せない=社会に直接に統合・帰属・参加しない)』を視覚化する面もある。
先進国のキリスト教圏では男女平等やジェンダーフリーなど啓蒙的政策が正義とされるが、イスラーム圏のブルカは『男女はその地位が根本的に違う・女性は父や夫という所有者以外に顔や肌を見せてはならない(間接の誘惑になる)』という家族制度や男女観を内包する、女性を自由な主体として社会に出すべきでない価値がある。
ブルカやニカブは民族衣装で歴史的に長く着用してきたのだから認めるべきだという宗教・文化の相対主義的な尊重の意見もあるのだが、『衣装・服装の背景に女性の生き方や価値観の拘束』があるのも一面の事実だ。現代のファッションのモードは『商業主義・流行・自分の見せたい自己像』が中心で服装の性規範の強制は弱まった。
日本でもブルカの衣装自体は異質性を強く感じるものだが、庇護者であり所有者でもある男性が『女性の自由化・主体化』を規制した文化・歴史の背景には共通部分もある。まぁ、男女に限らず『守ってあげる』と『管理・指導する』は重複しやすく、保護されると未成年的な位置づけに置かれやすい。
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