『共生婚』は自我が強くて理想が高くコストや面倒を嫌う人が増えた結果だろう。人の選り好みでロマンティックラブ・性と家族愛の幻想も崩れやすくなったが、『お互いの現状を変化させない結婚』としての共生婚に流れる。
食事も一緒にしない、共同生活するだけ…「共生婚」という結婚のカタチ
Aセクシャルや同性愛などを除き、男女関係の理想形はその人を見ただけで気持ちが高まる、また会いたい触れ合いたいという『ロマンティックラブ・本能的な惹かれあい』から始まって、『安定した愛情・家族の形成・人生の共有』などに向かうことにあるが、客観的には昔もそういった理想の関係性は殆どなかった。
近代が成熟するまでは、結婚は主に『生活・生殖の手段』であり『社会に承認される人生設計や運命の享受(大人になる通過儀礼・世間体)』であったから、『個人の幸福追求・理想の人生・異性選択の満足度』とは殆ど相関しなかったわけだが、現代人にとって『生活する為の結婚』は優先度の高いものでなくなってきた。
お見合い結婚が廃れ恋愛結婚が台頭したこと自体が、『自我の強さ・理想の高さ・個人主義の幸福追求』の現れだが、厳密には恋愛結婚でも『男性の経済力と女性の性的魅力との交換(男性側の強いアプローチに女性が折れる)』も多かった為、『相互に乗り気の恋愛・性愛』は20世紀後半にも多くなかった可能性はある。
イデア(理想の鋳型)とリアル(現実の諸条件)のグラデーションの中で、人間としても異性としても最高の敬意・高揚・意欲・陶酔・快楽をもたらしてくれるイデアの関係性と照らせば、多くの恋愛結婚にはリアルによる双方・一方の譲歩があるが、その譲歩幅が強まったものが『共生婚・異性として関わらない共同生活』だろう。
しかし共生婚のコンセプトは新しいものだが、昔から子供を作った後セックスレスになり異性としての認識もゼロになる夫婦は珍しくなかったわけで、男でも女でも元々色気のあるタイプではない人のほうが多かったりする。日本では性・恋愛より『生活・仕事と育児・情緒・老後の面の支えあい』の方が結婚・夫婦の本質に近かった。
事前の双方同意で共生婚をするようなタイプの人は、『自意識の強さ・世界観のこだわり・性的な潔癖や好みの強さ(自分が完全に乗り気な相手・状況でないと性はお断り)』はあるだろうし、本心としては『結婚はしたくない』が『結婚以外の長期安定的な関係性の確保の方法』が分からずに完全な孤独は怖いという事だろう。
一緒に食事もしないセックスもしない『共生婚』を希望するのは女性が多いだろうし、実際のメリットも(子供が要らないなら)女性の方が大きい。普通の結婚をしている女性にも一定の割合で『家事育児・行事参加など生活面で必要なことはするが男女の云々は長くしてない』はあるので、長期関係の実態として特殊とまで言えない。
共生婚は『本当に好きな人ができない・好きになった人から受け容れられない(自分からいく相手以外から触られたくない)・性的な潔癖やトラウマがある』などには適した婚姻形態かもしれないが、双方の同じパワーバランスや情緒・性欲の安定が続かないと長続きしない。共生婚で都合よく長期的な孤独回避が維持できるか……
共生婚なんて結婚制度の想定する本質から外れているから、ただのルームシェアや共同生活でいいじゃないかの意見もあるが、『結婚以外の男女の長期的な関係維持』は一般にかなり難しい。結婚制度の形骸化も言われるが、現代では『何があってもずっと一緒の夫婦像の遵守・生活や子供の為の我慢』が効かない人が増えた。
『結婚以外の男女の長期的な関係維持』の難しさは、『男性の財・扶養と女性の性・情の交換原理』が歴史的に根深い為、男にとっては『女性の存在自体の需要』があっても、女にとっては特に一定以上の年齢では『男性の存在自体の需要』は落ちやすい。熟年離婚も男には恐怖になりやすいが、女には解放になることもある。
『男性の財・扶養と女性の性・情の交換原理』では、一通り経験した女性では『安定した生活や仕事・一定の金銭・同性の友達や子供との付き合い』があれば、男は一切要らないと本気で思える人もいるが、男は中高年でもなかなかそこまで『人生における女性の性・情の完全排除』に至れず強がっても煩悩は深い。