社会的地位や経済的安定がある人が性犯罪で地位・信用・家庭を失うのは、第三者からは馬鹿げた自滅行為だが、中高年の依存性的な性は、実際に若い相手を誘えば釣り合いが取れず売買春に陥りやすい。
常識的に考えれば、社長・教授・官僚だろうが校長だろうが、50?60代以上の男は、30代以下の若い女性にとって金銭を除き『男としての魅力』がなく、まともな恋愛やセックスの相手とはまず見なされないが(そもそも父親以上の世代)、常識・分別を欠いた病的な中高年は『諦めきれない』ために遂には自滅しやすい。
現代の難しい所は、この校長のように年齢・外見において『十分におじさん・初老の男性』であっても、精神性・性欲・異性の好みにおいて結婚していて成人になった子供がいてもなお『思春期的・青年期的な段階』に停滞していることで、レンタルビデオ屋のAVの主要顧客も60代以上と言われている。
相当なお爺さんになっても実際に性的な言動をするかを別にすれば、若い女性が結構好きだったりする。おじさん世代でもスナック的な飲み屋でちやほやされる事を好む人は多い。中学校校長で高校生を買春は情けなく信用喪失だが、自分で自分の数十年のキャリアが不純な動機で貫かれていたと告白したような情けなさを伴う。
何歳になってもリアルな性を諦めきれないこの校長のような人でも、30?40代の愛人を作ったりするなら犯罪・事件にはならなかったと思うが、やはり未成年にしかいけないのはロリコン以前に『女性とのコミュニケーション能力』に難があり、ドライなお金をダシにしても成人女性を誘う事に一定の不安恐怖があったのだろう。
タイガーウッズや清原和博も性依存症があったと言われるが、一定以上の社会経済的な能力がある男性のほうが、それに見合う恋愛や性の快楽・満足が十分に得られてない不満・不十分さ(承認欲求の怪物的な肥大)を感じやすく、その抑圧のタガが外れると無軌道かつ依存症な享楽堕落で人生・キャリアを破滅させるケースもある。