タイのプミポン国王の死去とタイ国民に与えた影響:君主の死が象徴する一つの時代の終わり

君主の死に特別な歴史・社会的な意味を持たせ『長期の服喪・自粛』をするのは、人の弱さ・迷信・依存に過ぎないが、強制力を超越した君主の権威が国の混乱を収拾した例にプミポン国王も当てはまる。

タイ国王死去で自粛の波 観光に影響、ムエタイも中止

タイ王室は第二次世界大戦後の軍事独裁政権下で『傀儡・象徴』に堕落しかけたが、プミポン国王はタイの決定的政局で『正統的な権力の所在』を自らの意思によって指し示す立憲君主制の離れ業を仕掛けながら、『タイ国民同士の内戦』をギリギリのラインで何度も回避した。プミポン国王の顔・権威で内戦の暴力が抑制された。

タイ王室は日本の天皇家と並んで国民からの支持率の高い『立憲君主の一族』だが、プミポン国王は実際の軍事クーデターや内戦の危機を『自分の権威・顔効き』で調停・和解させた実績によって、いったん凋落した国民統合の象徴としての王室の機能を回復させたが、タクシン派の急進的な民主勢力との折り合いの悪さもあった。

タイは経済成長率の高い新興国だが、依然として成熟した民主主義国家ではなく、政局が切迫すると軍部や民衆の暴徒が『実力勝負・議会占拠』を仕掛ける場面が起こりやすい。民主主義や議会政治に『国軍』が武力で介入したり『国王』が和解させたりするタイの国情が今後どう変わるのか変わらないのかを注視したい。

スポンサーリンク