相手への尊敬・感謝を維持できるか否かは、本質探求の思索者よりミクロな生活者としての適応が問われる。対(つい)や番(つがい)の共同幻想を良い形で維持できるかどうかは相性もあるが、孤独を恐れる帰属・貢献の強度も相関する。
その時々の好意や言動に感謝することはできても、共同生活の必然性が弱まった現代で、本心から他者を尊敬するというのは『尊敬の本質』を考える人ほどなかなか難しいもので、採用面接などで『尊敬する人は誰か?』という質問も深く考えるほどに難問なのである。生身の人への持続的な尊敬が困難なればこそ離婚も別離もある。
実直なイワンの馬鹿の黄金律ではないが、誰々をリスペクトして、両親を尊敬している(両親のような家族を作りたい)というような『シニカルな視点のないストレートな情緒と社会観・明るい対幻想と親への尊敬、地道な生活に基づく家族主義』は良い夫婦関係の持続性に関係する。主観の共同性と情緒の親和性が絆を深める。
現代では中長期の関係性で、ずっと一緒に行動するような密着性を好む人は減り、『適度な距離感・各人の世界や活動』に配慮し合う方が上手くいきやすいか。理想の夫婦像として『老年期・最期の仲の良さ』を上げるかはその人の対幻想・家族主義の強さにも関係し、良くいけば仲良く添い遂げ、悪くいけば執着・依存に呑まれる。
理想の夫婦像として『老年期・最期の仲の良さ』を上げる人は、順調に夫婦関係が最期まで展開すれば良いが、少し前の70代の自爆自殺した自衛官のように『晩年の配偶者との関係悪化・熟年離婚や責任追及』などがあると途端に混乱・絶望し最期まで連れ添いたい意思が、裏切り・憎悪や意趣返しに転換するケースもある。
キリスト教のヨブ記ではないが、無償の愛は無償の信仰のごとく得がたいものではある。人生は一回限りの物語性を帯びて不可逆的に展開していくが、その物語を『私の客観的な視点』で見るか『私たちの共同幻想の視点』で見るかで違ってくる。その期間の比率や信念の強度で、夫婦関係の物語性・必然性(と思える運命感覚)も変わるだろう。