埼玉県朝霞市の女子中学生監禁事件と寺内被告の特異な心理・コンプレックス

寺内樺風被告は統合失調症でなく異常性格を前提とした解離性障害の可能性があると思うが、自己と他者の現実感が希薄な『人のモノ化』がある。性犯罪が第一の動機ではない女性の監禁は特殊・稀である。

寺内被告「少女は被験者」=誘拐、監禁で本人質問―さいたま地裁

寺内被告が性犯罪だけを目的としたペドフィリアやサイコパスなら、被害女性は長期監禁されず殺害されていた恐れもある。『被験者を長期間かけて洗脳実験したい』という男の異常性や変則の動機で助かった面もある。相当歪んだ異常なパーソナリティーだが、直接の暴力・性虐待には向かわず、精神支配に向かった特殊性はある。

無論、被害少女に配慮した報道規制もかかっているはずで、厳密には性被害が皆無という事ではなく、相対的に精神支配・長期監禁に焦点づけされているだけだが、現時点では性犯罪者というより従順な好みの共同生活者を求める孤独な解離者のイメージが強い。『無感情なクールさ』を装うが、臆病な愛情飢餓者ではないか。

誘拐の罪が窃盗並みに軽いというおかしな認識を披瀝し、『自分の母親が突然いなくなっても仕方ない、それも運命だから受け入れる』と語った加害者だが、これは裏返せば『自分という人間の存在価値を認められず軽視されてきたという実感(自分が孤独だから他者もそうあるべき)』からの人に対する演技がかった無関心だろう。

学校でのいじめや母子関係における愛情剥奪が影響した可能性もある。その根底には『自分という人間なんていてもいなくてもどっちでもいい(親もみんなも本心で思っている)』といういじけや拗ねで、性犯罪の色彩が薄い理由の一つに『両親から愛されている、ずっと探してもらえる少女への嫉妬』が働いた可能性もある。

加害者は少女にずっと何度も『親は私を見捨ててもう捜してない・親は私のことを愛してない』という文面を書かせ洗脳したと報じられているが、これは恐らく寺内容疑者本人が持つネガティブな自己否定・愛情剥奪の確信的認知とつらさで、少女を自分と同じ孤独で惨めな境遇に引きずり下ろし安堵する事が目的だった可能性がある。

裁判官が『人が一人突然いなくなると悲しむ人がいるということが分かりますか』と問うと、容疑者は『わかりません。社会は人間一人がいなくなってもそれまでと変わらずに回っていきますから』と答えているが、これもクールな無感情の達観を装った愛情飢餓の偽装に過ぎず、道具的に扱われる自己という被害者意識が透ける。

この誘拐事件は奇妙で変わった内容のものだが、その理由の一つとして『少女そのものへのロリコン的な欲求・関心』だけではなくて、『少女を取り巻く親子関係・愛情関係』や『少女の雰囲気やイメージからの家庭的な温かさ』への嫉妬・憧れを含む妄想体系が関与しているからだろう。

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