現代人の名前は漢字・読み・音の響き(格好良さ)にこだわる名前が増えた:個人主義と言霊思想

現代人の難読・当て字・奇抜な名前は『キラキラネーム』と揶揄されるが、音韻・漢字(字義)のセンスとして昔より『個人としての卓越・洗練・幸福・美形と結びついた主人公感』をイメージさせるものになったのだろう。

2016年生まれの子どもの名前、「大翔」「葵」がトップに~明治安田生命調査

なぜ昔も太郎・久・花子・良子とか亀・鶴・サダとかじゃなくもっと『格好の良い響きと意味を持つ名前』にしなかったのか、支配階級さえ単純で凡庸な響きや漢字の名前が多いのはなぜかの問いも逆にあるが、20世紀後半まで『個人主義の差異化の価値観』はなく『悪目立ちや名前負けを忌避する身分制・世間体』も強かった。

現代人の名づけはある種の『個人主義化された言霊思想』であり、良い意味と響きの名前をつければつけるほど子供が人並み以上に幸せになり成功したり不運を避けやすくなったりするという願いが込められている。『他者との差異化+個性と良い運命の表現』を追求しすぎて、格好良い響きと漢字のルーティン化に至った感もある。

近代以前も無論、言霊思想は強くあったのだが、封建主義的な身分制度と農村共同体に束縛されるライフスタイルが長年続いたため、『分不相応な漢字・響きの名前』をつけることの社会的問題があり、また多くは決まった身分・役割・居住地を生きたので『上昇と特別の個性強調で名づけたい個人主義の動機』も弱かったのだろう。

現代で生まれてくる赤ちゃんは、子供の数が少ないことも影響し、夫婦や家族にとって『唯一のかけがえのない主人公』のように認識されやすいが、この『赤ちゃんの主人公感・子供中心』の感覚は恐らく現代的なもので、昔は儒教(親の権威・世継ぎ感覚)・児童労働・乳児死亡率などから赤ちゃんの主人公化までいきにくかった。

ただ現代における子育てと子供自身の心理変化の難しさというのは、中国の一人っ子政策における『小皇帝』ではないが、『乳幼児期から児童期前期頃までは名前の字義・響きによる主人公感の幻想』を親・周囲が演出できても、そこから先は『言霊思想の通じない自分が特別でないリアル』と向き合わざるを得ないという事だろう。

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