中年期になって気づくこと・分かること:『若さ至上主義・外見重視』に呑み込まれ過ぎない中年期・老年期の乗り越え方

中年期になっても主観的年齢は『考え方・努力・美容』である程度若くいられるが、『絶対年齢・老いと死の接近・他者が中年者と見る現実』は変えられない。

中年になって気づいたこと 「野菜がおいしい」「学力よりコミュ力の方が大事」「人生のピークは30歳」

ユングのいう老賢者の元型が通用しづらくなり、現代文明は若さ至上主義(アンチエイジング)やエイジハラスメントの弊害も生んだ。『老』は仏教の四苦の一つで、中年期以降は動物として『衰退・限界』がでてきやすいが、経験・知性・関係を土台にした『中年以降の主観的な意味・目標・楽しみ』には成長発展の余地もある。

功利主義・快楽主義で考えると、どうしても中年期は『衰退に向かうターニングポイント』になりやすく、客観的な加齢による変化の現実を極端に否定しようとすれば『若さ至上主義・拝金主義・権力権威の志向・見かけや性のこだわり』に傾いて俗物根性の好ましくない面が強調されてしまう。

中年期以降は幸福追求の功利主義だけに偏らず、客観的年齢と主観的な年齢認識のバランスを取らないと行き詰まるかもしれない。『物語的な人生の意味づけ・社会的な貢献や活動・家族や職業などへのこだわり・次世代の育成や支援・教養や知性に裏打ちされた探究心・身体性を維持するアクティビティ』などが鍵となるのだろう。

個人的には中年期になって、霜降りの和牛・大トロとかはちょっと食べれば事足りるようになり、食べ放題も食べる量は常と変わらず、なぜか野菜・粗食が好きになったのはある。学力は『社会経済的な利益』と直接に相関しづらいが、場面・階層・相手によってはコミュ力の地盤に基本教養がないと話にならないことはある。

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