男だって35歳前後から若い女性には相手にされなくなってくるので(お金・結婚目当て除く)、加齢による性的魅力低下は女性だけの問題ではない。老は色の煩悩に囚われれば苦だ。若い人には若い人のコミュニティや恋愛・流行があり、中年が入り込む余地も乏しい。
そもそも30代後半?50代以上の年齢は、昭和期であればそこから異性や若い男(女)にモテるとかどうこうしようとかを考えるべき年齢ではなく、子供を育て上げて後進の模範となって教育したり、老後の備えや人生の総括的な意義づけをする世代である。煩悩はゼロにはならないが、煩悩の現実的な処し方を学ぶべきだろう。
現代の難しさは『生物学的な年齢』と『社会的な役割』と『精神的な成熟・諦観』とがズレやすいことで、客観的にはおじさん(じいさん)でも主観的には『俺・私はまだまだやれるんじゃないか(異性関係含め)』になりやすい認識錯誤の時代である。健康で色欲・野心が強く社会経済的な力もあると初老でも諦観が遠ざかる。
色欲の煩悩(欲望)に限れば、年を取ればモテなくなるのは一般原則で、『同世代間のコミュニティでの人気・魅力・承認のモテ』なら追求の余地があるが、『華やかな若者から見た中高年の男・女としての価値』は自分が思っているよりも相当低い(能力や地位・カネがあっても対象外・口説きも迷惑)のが現実である。
自分に置き換えて物事を考える癖が『認識の客観性・相手の内心の推測』を担保するが、『自分が20歳前後の時』に『40代以上の男性・女性に口説かれた』とするとどんな印象を持つか。大学生や新入社員の時に『良いなと思う異性』が何十歳も年上という人はまずおらず、異性として見られるだけでも嫌な感じになりやすい。
そんなこといっても年齢は変えられないの反論もあるが、『変えられないから(戻れないから)こそ老は四苦』なのである。永遠にセクシャルな意味での対人魅力を持つ人などこの世に存在した試しがない。年老いれば『人間的な成長・叡智の獲得・後進の指導』など意識のベクトルを転換して煩悩を諦観し自己を受容していくべき。
男と女の若さの価値は厳密には同等ではない。男性の若さは『アプローチして受け容れられる確率』は上げるが、若ければ『異性にモテる』わけではなく格差がある。身なり・対応に気を使う若い女性は相手を選ばなければ誰かには言い寄られるが、30代半ば以上は同世代でも中身の性格・知性・調和がないと急に引き合いが減る。