現行憲法でも個別的自衛権はあり集団的自衛権も実質運用されているから、9条や18条等の改憲を急ぐ必要は薄いが安倍政権の改憲案は『国権強化・人権制限・集団統制』に趣旨がある。政府の強制力が強まる恐れ。
国民から改憲の必要性が自発的に要請された経緯がなく、自民党の改憲議論の大半は『政官財の支配者サイドからの国民統治(個人の自由・人権を押さえる命令・制御のしやすさ)の効果』を問うもので、有事の危機を煽って攻撃されるマイナスをゼロにする論理はあれど、『国民の人権・幸福』に適う改憲ではない問題がある。
国家安全保障や自衛戦争の必要のロジックも、北朝鮮でさえ自らが『ならず者・無法者=因縁をつけ武力で脅す悪』とは自覚・教育してないわけで、核開発やミサイルを安全保障と思い込ませる。本当は核・ミサイルを放棄し国際社会に調和する方が攻撃されない安全保障だが、独裁政権の保身もあり『軍事力=安保』と教えられる。
北朝鮮の人民に対する『核・ミサイルが北朝鮮の安全保障や人民の幸せにつながる』という洗脳教育は、外部から見れば『本末転倒な馬鹿げた話』だが、北朝鮮と類似の『自国が貧苦でも武力が強ければ国が安全・人が幸せ』という思い込みは、日本人であっても教育・環境が変われば持ち得る思い込みで鼻で笑ってばかりいられない。
むしろ第二次世界大戦以前の大日本帝国は、大多数の日本人は貧乏で地位も権力も自由もなかったが、『国家が富国強兵で勢力拡大していく観念』によって、自分が徴兵されて死ぬことになっても『心理的な国家と自我の一体感(観念的な自我肥大)』によって胸を張れる感じを与えられており、北朝鮮の軍属との類似性もある。
心理的な満足感や観念的な自我肥大は、時に人間を狂気的な熱狂や集団的な暴力に急き立てるが、北朝鮮の真の安保が『武力の削減・国際社会との調和と条件交渉・独裁をやめ人民を守ること』というのはシニカルな安保の一面である。北朝鮮は特殊だが『(国内要因から)敵を敢えて作ったり挑発する安保・軍事』も現代では多い。