笑いのセンスが変わった。人を笑わせる方法として『ガムシロップの大量摂取の一気飲み・雪山をサイコロに入り転落』のどこが面白いのか?病気・怪我の原因を作るだけで模倣すれば危ない。
エスパー伊東の引退騒動で考える 体を張ったお笑い芸人の体力の限界とは?
記事には『笑われる』のではなく『笑わせる』とあるが、たけし軍団を筆頭として昭和期のお笑いは『最下層の人を作り出し笑いものにする(上位者に逆らえない下位者に危険かつ無意味な命令を下す)構造』が多い。模倣や刷り込みで『いじめ・パワハラ・擬似身分(バカにされて良いキャラ)の原因』になることもあったわけで。
認知症という概念もなかった昭和期にはボケ老人をネタにしたお笑いも多かったが、これは高齢者比率が少ない時代だったからこそ出来た笑いだろう。高齢化社会の現代では痴呆=バカ・まぬけ・とろいの象徴のように扱う笑いは倫理的問題が生じる。上位者の指示で体を張らせるお笑いには現代のパワハラや労働問題も包摂されるが。
生活苦や擬似的な身分差別も多かった時代には『自分より下位でバカ(無意味)な行為をさせられている惨めな奴(笑いものにされるような役割を請け負う者)がいるような演出的なお笑い』が確かに受けた。仮想的な優越感・まっとうさや自分のほうがマシという意識をお笑いやマスメディアが支えていた。
だが根本にあるのは体育会系・会社組織・軍隊等の『タテ社会の理不尽や人格否定を許容する空気』、人を能力・美醜・雰囲気などで価値判断し差別する価値観の正当化・娯楽化(笑われてバカにされる特徴・格付けの抽出)でもあった。『命・身体の危険のある無意味な命令』にもイエスと言わざるを得ない社会規範を維持した。
無理に体を張らせ無意味な危険行為をやらせたり、外見・言動・雰囲気が標準からずれた感じの人を笑える特徴として誇張するお笑いは、一面では『人間の一般的な自己正当化・優越欲求・美的な感受性・差別的な認識(劣等コンプレックスの補償・社会共通の価値判断の人々への波及)』の下支えがあるので結構根深いものではある。
ユーモアやウィット、ストーリー、メタファーで笑わせるお笑いもあるが、社会通念として『劣っている(カッコ悪い)イメージ・笑われても良いキャラ・嫌な事やつらい経験をさせられる』を誇張するお笑いは、『強い(地位や立場が上)・美しい・知的・普通(変ではない)・見て評価する者』に視聴者の意識を置き換える。
伝統的な『恥の文化』を形成してきた日本人の大衆意識も、この種の体を張らせたり嫌な役回りをやらせたりするお笑いのセンスは潜在していた。昭和後期くらいまで日本の村落共同体では『人に笑われること(人並みでないとみられ世間体が立たず笑われる)』を過度に恐れ同調する恥の文化の原型があり中高年層にも残滓はある。