経済格差だけではない『児童虐待』を生みやすい『成育環境・愛情・教育』の格差の深刻な問題

東京足立区で起こった3歳児を『兎用ケージ』に監禁して殺害した事件のルポ記事を読んだ。無知・貧困・虐待・捨て子の世代間連鎖とでもいうべき加害者父母の劣悪な生育歴(善悪・常識・愛情・社会性を学ぶ機会の剥奪)が詳細に書かれていた。現代日本における『理性・愛情のない格差の底』は大半の人の視界にも意識にも入らず想像に限界もある。

どんな劣悪な家庭環境や異常な親子関係でも、犯罪を犯して良い理由にはならないし、類似の親でも犯罪・虐待をしない人もいるの正論も分かるが、まともな知性・愛情・良識を持つ両親のいる中流家庭で育てられ大学なり専門学校なりを出して貰った人が『機会の平等・罪刑法定主義』を盾に正論で叩くのにも違和感はあるな。

子供は親・環境を選んで生まれるわけにいかず、全ての親に最低限度の知性・愛情・良識・判断力(責任能力)があるとも期待できない、どうにもならない要素は多い。生まれながらに人格形成や愛情獲得、学習にハンディを負い、本能に動かされ負の連鎖は続く、『法の下の平等・機会の平等・義務教育』の建前の虚しさも響く。

単純な貧困や経済格差の問題でもなく、幼少期に親から動物以下のモノのような扱いを受け、親自身も愛情の注ぎ方や適応的な生き方が分からず悪気があって虐待をしているわけでもない絶望の底は深い。場当たり的な多産、可愛がりたい時には構って邪魔になれば施設に預けを繰り返す環境から人間性・共感の正常発達は望みにくい。

近代の教育・豊かさという啓蒙の光は『子供の人権・愛情ある育て方』をかなりの範囲まで拡大したが、歴史的構造的に続く貧困・無知・無慈悲・利己的本能(子供のモノ化)が近現代で完全に撲滅したわけではなく、貧困と格差の拡大と教育・温かい関係の減少がリンクすれば再び子供の虐待・世代の負の連鎖の悲劇も懸念される。

表面的に目立つ障害や異常、能力の低さがなく、社会でそれなりに働き生活していれば、『最低ラインの知識・常識・良心・倫理(善悪)・判断力の共有』はあるはずとして同じように処遇すべきの前提になるが、責任能力だけで図れない『人並みの良心・善悪判断・知識を持てず歪んだままできた人』も一定比率で潜在する。

どんな劣悪な家庭環境や異常な親子関係でも、俺(私)なら今と同じ人間性と思いやり、善悪の分別を持てていたはず、それができずに卑劣な犯罪・虐待に落ちた奴はセルフコントロールできないダメな人間と叩くのは易しいが、人生は一度きりで自分固有のもの、自分がその人の境遇でまともになれたかそうそう自信は持てない。

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