実母と継父の卑劣かつ異常な虐待事件だが、47歳にもなって幼稚な発想の虐待をエスカレートさせ、他にやる事もない男も情けないし、その男を思春期の娘がいる自宅に居座らせる実母も無責任ではある。
厳密には、入籍していない交際相手だから継父でもないが、内縁の夫(実質的な義理の父親)のような位置づけにはあったのだろう。常識的なコミュニケーション力や社会性の有無、子供の成長・心理に害悪のない接し方ができる人間性の男かどうかは交際段階でも分かりそうだが、母親も類は友を呼ぶの型なら防ぐことの難しかった事件かもしれない。自分が異常・冷淡な人格・嗜好の相手ばかり惹きつけていないか自省も必要だろう。
修身(自分自身の精神・行動を振り返って高め修める)あっての斉家(落ち着いた秩序と安心のある家庭)という儒教道徳も古臭いが、自分の精神や行動が乱れておかしくなっていると、不思議と同種の倫理観や自己制御に欠ける『DV・虐待・無職などのリスクの高い異性』を惹きつけやすい傾向はどうしてもある。
いじめでもハラスメントでも犯罪、貧困、病気・怪我でもそうだが、『当事者性(自分自身の問題で悩むこと)』と『客観性・考察対象(自分以外の誰かの問題を客観的に考えること)』の違いは深くて大きい。あらゆる問題は絶対自分に降りかからないわけではないが、『当事者性・現時点からのズレ』で切実さと感覚は鈍麻する。
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