三鷹ストーカー殺人事件で懲役22年の判決、 ストーカー心理と恋愛感情のもつれ

三鷹ストーカー殺人事件は陰湿なリベンジポルノも同時に行われた凶悪事件で、主観的な悪質性は高く応報の見地だと量刑は軽く思われるが、類似の殺人間で大きく量刑を調整すれば逆に裁判の公平性を揺るがす。

<三鷹ストーカー事件>「懲役22年は軽すぎる」両親が心境

裁判員裁判では『量刑分布表』が配られ参考にされるのが問題という両親の気持ちは分かるが、裁判員の『主観的・応報的なその場の思いつきの量刑の重さ』だと裁判員裁判はどんな思想信条の人が裁判員になるか(応報感情が強いか不遇な過去に同情するか)で大きな量刑の差が出てしまう。判例を踏まえた大まかな目安は必要だ。

殺人の量刑が『赤の他人・無差別』より『人間関係・男女関係』があったほうが軽くなりやすいのはおかしいの意見は、状況や立場、関係性で変わってくる話だが、一般論として人間関係のトラブルや過去の怨恨など何もない赤の他人から不意に襲撃され殺されるほうが悪質性が高いというのは、社会秩序維持の観点では合理的だろう。

ストーカー殺人事件は10~30代の女性の恋愛というか男性選択(男性の本当の性格・対象喪失におけるストレス耐性)の難しさを示すものであり、確かに自分がもし女性で池永チャールストーマス被告のような執着心・独占欲が異常に強くて言葉が通じず別れられない何するか分からない相手と知り合ったら厄介だろうなと思う…

特に若い時は『愛情・純情・忠誠・優しさ』といった恋愛関係におけるポジティブな感情と『執着心・独占欲・思い通りにならない時の攻撃性』といった恋愛関係がこじれた時に出る危険な気質・性格を上手く見分けられないことも多い。別れるまでは強い執着が『一途な愛情・裏切らない誠実さ』として良い方向に解釈される等。

とはいえ、別れ話がでても一つ返事で『君が望むならOK。また気が向いた時にご飯でも』みたいなとらわれのない人はそれはそれで危険なストーカーにはならないかもしれないが、別の浮気や続かない感情など問題が出てくる。一途な愛情には執着や独占の陰も兆すが相手の本気の別れ話に時間をかけてでも納得できる人かどうか。

まぁ『相手がいないと生きていけない・裏切られたり孤独になったら何するか分からない・死ぬまでずっと一緒にいて』など、一般的な恋愛感情を超え自分と相手と何があっても絶対に離れず、離れるなら生きるか死ぬかみたいな事を依存的・義務的な感じでいう人は付き合いの浅い段階で離れていたほうが無難な傾向はあるが…
何というかストーカーになってつきまとう気持ち悪い恐怖を与える行動をすれば、本当にその相手との関係や対話は完全に死ぬまで終わることが確定するが、『決定的に嫌われたり怖がられたりしてない前提』なら、自分は自分でその後の人生や関係を充実させるよう楽しく頑張っていれば、自然と穏やかな再会の縁はあったりもする。

そういった縁は二度とないことも多いだろうが、自分と相手が歩む道が分岐したというだけで、同じ世界のどこかでその人はその人なりに色々あって頑張っているわけで、良い思い出と共時性の想像(たまに思い出す)でも十分だと気づく時もくる。振られた自分だけ不幸という認識が浅く、相手もそこから別の道をスタートしている。

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