ストーカー犯罪急増は『コミュニティや結婚が衰退した現代の孤独』や『分不相応な自己愛(縁なき相手への恋愛妄想)』とも関係しているが、金銭目的の犯罪以上に特定の人に執着して諦めない犯罪というのは事前抑止も事後の反省・更生も難しい。
例えば異常に執拗なストーカーの岩崎友宏被告でも、昭和期の皆婚時代・皆労働者時代なら、30歳近くになって無職で現実離れした無理なアイドルのケツを追っかけず、適当な会社に嫌々でも就職し分相応な相手と結婚させられていたため、ストーカーをしたくても時間・余力がないよう社会システムで行動統御されていた。
儒教の『小人閑居して不善をなす』とも言えるが、自由な時間・境遇を自己実現的に活用できる現代人のライフスタイルに適応しやすい人もいれば、逆に『自由であるが故に自己定位できず現実離れした人・夢にしがみついて思わぬ犯罪に走るタイプ』も出てきてしまう。強い恋愛感情の挫折には元々狂気じみた一面もある。
恋愛というか人を好きになるのは確かに自由だが、『自己の魅力(持てるもの)と相手の魅力(持てるもの)のバランスの客観視』と『相手の発言・行動・態度から読み取れる気持ちへの配慮』が必要で、極論すれば『ダメなものはダメという納得・引き際の弁え』がなければ恋愛をする資格もないし迷惑・犯罪にもなる。
小金井ストーカー刺傷事件に対する東京地裁判決は『懲役14年6ヶ月』で判例からすれば妥当だが、被害者女性が受けた心身両面の傷は確かに量刑では測れないほど重い。だがこの事件が大衆の関心を集めた理由の一つは、被害者女性が一般人との比較では美人であることで、擬似恋愛要素のある仕事についても賛否両面が出た。
昔から女慣れしておらず(ダメな時に他に行ける女のあてがなく)相手の好意を感じたら一直線になりすぎる男を『勘違いさせること』は危険という社会常識はあり、夜の飲み屋でも初めは『のめり込まない遊び方(お店だけが特別な場)』『プロの接客スキル(狂わせないあしらい方)』を教えてあげるのがルールでもあった。
『会えるアイドル・キャバ系ビジネス』が流行してきたことから、男の擬似恋愛をビジネスとする女性にプロフェッショナル意識(意図的な世間ずれ・男慣れの演出)が乏しくなり、『素人的な素のパーソナリティーや対話』で女慣れしていないお客をのめり込ませる形で引きつける事もストーカーリスク増大の一つの要因ではある。
被害者女性の責任を云々することで被害者が余計に苦しんでしまう問題があるし、本人は女としての魅力で売っていたわけではないという意識も当然あると思う。一方で客観的に考えれば、アイドルではないアーティストだとしても日本文化ではどうしても『その女性(男性)のルックスや雰囲気や語りが好き』という歌以外の要素でのめり込んでしまいやすい。
アイドル稼業でも飲み屋でも『距離感と遊び方を弁えた客・ファン(その場だけ盛り上がって擬似恋愛のやり取りをして満足して帰る)』だけを集めるのは意外に難しい。だから『会員制クラブ・紹介客のみ入店可の店(常連さんが身元や人間性の最低ラインを担保してくれているので安心して接客できる)』などがあったりもするわけである。