将来推計人口、現役世代減少で高齢者は引退できなくなる:年金・医療・介護の持続困難と今・昔の老後の違い

戦費調達目的で創設された公的年金の制度設計が甘い。『平均年齢60代(長くて約10年の年金支払)+人口増・経済成長』の前提で作られた年金制度は、平均年齢80歳を超え少子化・低成長・医療進歩の現代では通用しづらい。

<将来推計人口>高齢者「引退」なき時代へ

現在90代以上の戦中世代は少ない掛け金で十分な年金支給があり、徴兵・従軍なら恩給も付加された『年金制度・公的給付の恩恵』が大きかった世代で、20~30年前までは『老後=悠々自適の年金生活』のイメージが通用した。若い頃は相当な苦労・貧乏をした人が大半だが、国・年金への信用は非常に強かった。

今90代以上の高齢者の幼少期~若者時代(終戦間近の総動員体制下の貧窮+物資枯渇の戦後の焼け野原)の平均的な生活水準・食糧事情は、現代人では到底耐えられないもので、少なからぬ人は若くして外国で戦死餓死・抑留・病気の悲惨な目に遭った。老後だけに着目して、単純に昔生まれていれば得とは言えない。

少子化・人口減少が固定した日本の人口動態の最大の要因は、先進国で経済発展して自意識が強くなると『人一人が普通に人生を生きていくためのコスト』が跳ね上がるという事である。法律・人権・意識の変化によって、人を働かせる際のルールも厳しくなる。昭和初期以前の庶民の生活水準は『家族皆が食えれば上等』である。

今のブラック企業は人格否定・パワハラ・長時間労働の問題が主だが、昭和初期以前のブラック労働といえばやくざ者の監視者から殴られ脅され、世俗と隔絶したダム建設・トンネル工事・原野開拓などの過酷労働を強いられる『タコ部屋労働(物理的監禁)』の類でレベルが違う。

明治から昭和初期の庶民は『国の社会保障』は整備されていなかったから『家族・地域(血縁地縁)の相互扶助』に頼るのが普通だったが、『家族の人数が多い・農家が多く食糧自給率が高い(食費が安い)・平均寿命が短い(医療に頼らない頼れない・医療水準低く延命困難)』で、自力で食べられなくなった時が死期であった。

昔と今では『老後の言葉』は同じでも、『老後の生活水準と生き方・引退後の余命の長さ・死に至るプロセスと納得』が違いすぎる。第一次産業従事者は現代でも『体が動くうちは田畑に出る高齢者』が多い。何より『頼れる同居家族の人数』が少ない、『子・孫に老後やお金を頼るべきでない高齢者の自意識』も強まっている。

そもそも子・孫の平均所得・貯蓄が下落傾向にあり、長期安定雇用を得られない人も増えている。昔の農家は貧しくても『親・祖父母と同じように農地・山で働き収穫物を得るサイクル(高齢者が自力で食べられる内は飯は食わせられる)』で、今の介護・老後扶養とは考え方も異なる。

少子化の最大の要因は『生活水準(人一人が普通に生きるコスト)の向上+若者世代の賃金下落+個人主義的な幸福追求と価値観の変化』だが、『公的年金制度』も人(家族の数)でなくお金に頼る意識を強めた意味で少子化と関連する。老後やお金を子・孫に頼りたくない老親が増えた時代の変化自体が、少子化とつながっている。

昭和初期頃までの近代日本の家族主義や労働文化、扶養を振り返ってみると、今では想像も及ばないほど『大勢の家族を養う義務のため働く(稼ぎ全部を家に入れる)・奉公に出る(未成年で食い扶持減らし)』のが普通で子・孫が自分個人の幸福追求・進学を許される家は殆どなく、庶民の子・孫は家を支える労働力であった。

子・孫に自分の思い通りの人生を生きて欲しいと思う親・祖父母世代が増えたこと、子・孫を労働力(老後の支え)とみなす親は道徳的に批判されやすいこと、総中流社会が崩壊しているにも関わらず貧困が恥とされやすいこと等、現代は少子化トレンド(親から子に一方的に支援するが頼らない非庶民的な子育て観)の条件が多い。

人並みの子育てにも老後の生活にも、今は昔の何倍もコストがかかり最低限とされる育児・介護の責任も重くなっている。子供にしても高齢者にしても、『ただ飯を食わせれば事足れり(後は自己責任・自然の推移で)』とは言いにくい時代で、人を育てるのも人を看取るのもそのプロセスは複雑になり法的責務・費用も重くなった。

『高齢者が引退できない時代のつらさ』は短期間であるとはいえ、今生きている世代の人達の中に『年金と福祉で悠々自適の老後を過ごせた人』もいるからだが、高齢化率が30%を超え現役が漸減、財政が逼迫する時代に『月10~20万円台のそれなりに暮らせる終身(20年以上)の年金給付』を得るのは難しくなるだろう。

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