『75歳以上が高齢者』とする御用的な日本老年学会の再定義を流用し、自公政権の社会保障削減のロードマップが露骨にアピールされている。公的年金の給付開始年齢を65歳より上に上げたい意図が透けるが、70歳まで『ほぼ現役世代』にして働けば超高齢化社会を乗り切れるはずだと、生涯現役気分の片山さつきPT座長は意気軒高だけれど……上からスタッフに指示しながら働く国会議員と、上から命じられて働く一般労働者は同列には語れない。
確かに75歳未満をすべてほぼ現役世代にして、年金・医療・介護の社会保障に頼らなくて良いとすれば、社会保障財源の問題は粗方片付くが、その片付き方が『75歳までみんな元気でバリバリ働く』でなく『お金・健康・保険がない人から先にバタバタ恨み節で死んでいく』だけであれば、先進国としてはアウトである。
60代前半までは致命的疾患・持病・心身障害がなければ大半の人がそれなりの健康状態にあるはずだが、70代というのは遺伝・体質・病気の限界からお金があっても自然に亡くなってしまう人も増える世代で、過去の無理がたたって一気に衰える人も出る。大半が75歳まで社会保障の支え手のまま適度に働ける前提が怪しい……
なぜ社会保障というか年金がここまで庶民にとっての問題かというと、フリーターや自営業を抜きとすれば『働いて死ぬだけの人生』で終わりたくないサラリーマンの悲願だからだろうと思う。『引退してのんびり過ごせる年月』が数年でもあるかないかで、特に我慢して仕事の人はそういう願いを持ちやすいだろう。
今の若いサラリーマンは、社会保険の控除率が非常に高いために、手取りが額面の6割程度になりやすいというのもあり、『今の高齢者だけそれなりの引退生活』ができていることに対して『税・社会保険料を支払うだけ支払って自分だけもらえない使い捨ての悔しさ』という世代間格差もありそうだ。
多くの労働者の本心からすれば、働けなくなってから、心身がボロボロになってからお金が入って保証してもらっても嬉しくない人が多い。心身(老衰)やお金がどうしようもなくなったら尊厳死の選択ができるようにして、現役層の社会保険料を減額して若い時期の手取りを増やしてあげるほうが、少子化対策やQOL向上としても有効とは思います。
70代以上からの年金受給に引き上げて、社会保険を『万が一の長生きの備え』にするにしては、今の現役世代の『税金・社会保険の負担感』が大きすぎるのかもしれない。仕事に生き甲斐を感じられればいいが、今も我慢して中年も老年も我慢して、まとまった休みも余裕もなく働いて死んでいく感覚は、現代人の多くにとって暗い未来になりやすく、結婚や出産にも後ろ向きになってしまう。現代は、子供を労働者・納税者や老後の介護要因にしたいと思ってから(自分のために親孝行させよう、困った時に頼ろうと思ってから)出産する時代ではなくなってしまっている。
昔は働いて死ぬだけが貧しい庶民の運命だったかもしれないが、貧しくても地縁血縁のコミュニティで承認と居場所があることが救いになっていた。今は国家や社会、企業の労働力の部品のように扱われると精神が耐えにくく、庶民の地縁血縁のネットワークも縮小したので貧困と孤立がセットになるリスクも高いという悲惨さ・孤立もある……。