木嶋佳苗死刑囚はなぜある種の男にモテて騙すことができたのか?:女性的な美への執着と妄想的な世界観・自己像の確立

婚活を通じて複数の男性を練炭などで殺害したとされる木嶋佳苗(きじまかなえ)死刑囚は、『女性の美』に執着した演技性パーソナリティーのパラノイアだと思われるが、『女性間の美の競争』から下り『自分が落とせる水準・属性の男』に照準を絞って搾取する閉鎖的戦略を取った。

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木嶋佳苗という女性の特異性は、美で優越しそうな他の女や自分に批判的な男を一切寄せ付けず『自分を最高の美的存在とする妄想世界』を広げながらも、『見せかけの愛・奉仕・女性らしさで自分の妄想世界に引きずり込めるタイプ(心理・属性)の男』を篭絡する嗅覚と手管に非常に優れていた事だろう。

美人でもない木嶋佳苗がなぜモテるのかという問い自体が成立しないというか、女性は『自分の魅力が通用するタイプの男』に積極的にアプローチして愛と奉仕を示せば、必ずモテる相手を見つけることができる。木嶋並みに『お金・従順・純真』だけで男を篩にかけ自分の好みを脇におけばトリコにできる男は必ずどこかにいる。

記事にあるように『男性に振られたり馬鹿にされたりするリスク』もあるので、木嶋死刑囚は『自己洗脳(自分をいい女と完全に思い込む)によるメンタルタフネス』も相当にあったはずで、普通の女の人はいくらお金が欲しくてもそこまでガツガツと心を折らずに攻め続けることがまずできないものである。

だが普通の心理状態や道徳観念の人には、木嶋佳苗のように『お金を搾取する目的だけで根が真面目で自分を好きといってくれる男を騙す』ができない。逆に詐欺師の銭ゲバ・見せかけセレブの強欲さがなければ、そこまで好きではない男に見せかけでも丁寧な愛と奉仕を捧げること自体が苦痛になってできない女性も多いだろう。

嘘の連続で全財産を巻き上げて用済みになれば自殺に見せかけ殺すという木嶋にかけられている連続殺人の容疑は、サイコパス的な『他者の完全なモノ化(同じ価値のある人間ではないとする心的処理)』がないと良心の痛みに耐えられない。控えめに言っても、妄想を超え実行に移した時点で普通の神経や生命感覚ではない。

木嶋佳苗は『女性の美』に執着し『容姿以外の女性らしさ・女性的魅力』を努力で磨ける最高水準まで高めることで、『愛・奉仕・安らぎ・家庭に飢えている男を篭絡する複数の強力な手段』を持ち得たともいえる。プロ並みの料理、完璧な掃除、丁寧な言葉遣い・上品な所作、達筆の美しい文字など努力と積極性を悪用してしまった。

今でこそ男性も『見た目のコンプレックス(ただしイケメン云々)』を感じる時代になっているが、女性は長い歴史の中で男性とは比較にならない『見た目を比較・査定する男性社会の権力構造』に影響されてきた。木嶋佳苗はそういった男女の即物の市場原理性に屈しないルサンチマンが変質した鬼っ子的心性を抱えていただろう。

木嶋佳苗は凶悪犯罪者に他ならないとしても、女性間の美のヒエラルキー構造(背景となる女をまなざす男権社会)を、自己陶酔的演技・自己愛の妄想と落とせる男の選別で無効化する自己万能化の特異的関係性を創出したが、『彼女が見ない現実(他の女・良心・法律)』との無意識的衝突で最終的に勝ち続ける事は困難である。

一方、様々な分野においてシビアさを極める現代社会においては、サイコパス的な『他者の完全なモノ化』というのが、『直接の殺人・強盗・傷害の形』を取らずに『自分が魅力や利益を感じない他者への無関心の形』で示されやすくなっていて、誰もが木嶋並みではなくても『自分をモノ化された怨恨』を抱く瞬間はあるわけである。

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