現代は見た目で露骨な差別・排除をしない倫理観を多くが持ち心ない言葉をぶつける人は少ないが、見た目問題は他者との距離にこだわれば深刻化する。
「見た目問題」息子も当事者…記者として、親として「心ない言葉」への葛藤 それでも「まず知ってもらう」
容貌が大きく変わってしまう先天性・遺伝性の疾患・奇形(本人ではどうしようもない見た目の特徴)について知ってもらい、差別や偏見を無くしていく啓蒙はできるし進めるべきだが、『他者が自分とどのような距離や関係を選択するか』にこだわれば、見た目に大きな変形がない人もある種のコンプレックスを形成しやすい。
結局、他者がどう反応し評価するかにこだわれば、見た目問題の深刻さの程度によっても変わるが、『見た目・美のヒエラルキーの複合感情』に絡め取られる危険性が誰にでも(よほど見た目に自信がある人は別だが)ある。『見た目で差別・侮辱しない』は可能な目標だが、『見た目・私生活で人の好き嫌いがない』は至難だ。
見た目とか容貌とかいうのは骨・皮・凹凸が織り成す『表層的な知覚印象』に過ぎないのだが、人間は本能的に『顔認知(顔の個人識別)』を特別に重視して早くに発達させることが乳幼児期の心理実験からも明らかで、顔(見た目)などどうでもいいという倫理はあっても、本音での分別・欲求・関心がゼロにまではなりにくい。
見た目問題は、深刻さを増すほどに『見た目で差別・侮辱されない社会整備』を目標として、『自分を個人的にも認めてくれる他者・ネットワーク』を尊重する生き方に絞り込んで、『自分にとっての見た目の優先度を下げた人生観・世界観』で現実を受容する形になる。他者の好き嫌い含めた人生観・世界観にこだわれば苦しい。
記事にあるような特別に深刻さのレベルが高い疾患・奇形の関係した見た目問題は特別なようだが、見た目での承認・選好や美のヒエラルキーにこだわりすぎる人は人並み以上の外見の良さがあっても、整形依存・競争意識過剰・劣等感と嫉妬怨恨・老化恐怖などでメンタルヘルスを崩し主観的な不遇感・劣等性を抱える人は多い。
現代社会はメディア・ネット・SNSを前提としたビジュアリティーの時代としての側面があり、美や若さ、見た目に過度にこだわる人が増えすぎたが、『自分にとっての見た目の優先度を下げた人生観・世界観』を築けない人は、永遠に満足できず自分より若くて美しい人と無意味に張り合って一人相撲で疲弊や絶望をするだけである。
『目に見えない価値』が軽視された時代とも言えるが、見た目問題の複雑さは見た目などどうでもいい表層的な差異に過ぎないという世界観を築いてもなお、一定の年齢までは『見た目でも少しは承認されたい思い』をゼロにできない事だろう。『他者からの選好・承認と相対比較』に対する執着を逃れる事は現代人の一課題でもある。