結婚相手の顔・経済力・性格の何が重要なのか?:自分の選択・人生に納得できずに欲張ると不幸になりやすい

○顔も性格も経済力も健康も重要だろうが『大勢の異性のカタログの中から任意の一人を自由に選ぶこと』は普通できない。『知り合った範囲でどこかが良いと思って選んだ相手』は概ね妥当な相手で、感性・色欲の選り好みは切りがない。

結婚相手の顔は重要じゃないってホント? 既婚女性の本音とは

身分制度(家格の釣り合い)を前提としたお見合い結婚・取り決め婚が多かった時代は個人間の総合的魅力のバランスが崩れた夫婦も多いが、恋愛・結婚が自由市場化される度合いが強まると社会的バランス理論にあるように『個人間の総合的魅力の釣り合い』が取れて、似た者同士や相互補償(長短持ち寄りの相殺)が増える。

結婚相手の何が重要かの個人差はあるが『自分が妥協して結婚してあげた(だから相手が下手に出て尽くすのが当たり前)という意識』があるほど、夫婦関係や結婚生活は主観的に面白くなくて不平不満が多いものになりやすい。良くも悪くも『自分の選択(自分の選んだ相手・人生)に納得と受容ができる人』が幸せではある。

現代社会で生きやすいか生きづらいかの一つの分岐点は『ナチュラルな自己洗脳のセンス』で、『自分の現状と選択に納得・受容ができない人』は客観的に見てまずまず幸せで豊かな状態であっても、主観的に生きづらさと面白みのなさ(不平不満)に苦しみ続けやすい。納得できる状況に近づける努力や工夫ができるかも鍵になる。

恋愛や結婚でも『自分のパートナーこそが最高』とナチュラルに思い込める人がやはり一番幸せになりやすいわけで、『本当はもっと良い人がいたのに・○さんの旦那(妻)はもっと素敵なのに』と現状否定の認知傾向と一方的な競争意識で不満を貯めて他に責任を求める人はどうやっても不幸な思いを拭えない。

異性愛や知覚の快感を味わうことを結婚の目的にすることが悪いわけではないが、人類の約400万年の歴史でそういった美と快感に酔いしれる男女の結合は極めて稀で、文明形成以後は王侯貴族の娯楽に近い。感性・色欲の選り好みと官能的な欲求は切りがないが、それ自体は生存に役立たないしのめり込めば破滅も有り得る。

秦の始皇帝は後宮に3000人の天下の美女を集めたが、その中でも常に美的に気に入って側に置いたのは数人に過ぎず、それだけの絶対権力と快楽主義をもってしても始皇帝の底なしの自己愛と官能的欲求は満足を知らなかった。『不老不死・世界の完全掌握』を渇望し無念を抱き死んでいった逸話からも貪欲の怖さは伺い知れる。

足ることを知らなければ、自分の運命・限界の納得と受容を知らなければ、富豪・権力者・絶世の美人になろうとも、どれだけ異性・財宝・名誉を集めようとも飽き足らないのが、選り好みをやめないもっともっとの人間の欲望や自意識のバカバカしさだが、小さな規模や小競り合いではその煩悩の炎さえ消せないのが人である。

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