技術力の向上やデザインの自由度によって、現在の車の外観が作られているが、弱肉強食的な社会の世相を反映して『強そうなソリッドでボリューム感のあるデザイン』のほうが消費者に受けて売れるのもある。
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昭和末期から平成初期の車のデザインは、現代の基準から見れば『ボディが薄くて貧弱・流線型の複雑なフレーム成形が技術的に難しい(空力特性が低くデザインが画一的)・高級車も車格の大きさ以外のデザインの個性化は弱い』ので、ノスタルジックな思い入れを除けば現代で昭和期の車のデザインだと売れないだろう。
今でもラパンとかビートルとか『丸目の女性らしい柔らかいデザイン』はあるし、ステップワゴンやセレナなどファミリーカーもライトのつり目の角度をやや小さくはしている。大人しく柔らかいデザインが売れ筋の車になるかと言われればいまいちなので、自動車メーカーも売れている車のソリッド系のデザインでアレンジする。
レクサスのスピンドルグリルはネットでは評判が悪いが、実際にレクサスの購入を検討する層では『車格をどっしり大きく見せる視覚効果』で一定以上の支持があるためにやめない。プリウスやC-HRも奇抜なデザインが酷評されやすいが、旧デザインと似た微調整では、同車種の買い替え需要が維持しづらくなっているようだ。
昔は車は生活必需品で大多数の世帯が無理をしてでも、収入に見合った一台を買ってくれていたため、デザインでの個性の強調をそこまでしなくても、庶民の家族ならカローラやサニー、ファミリア等を買い続けてくれた。今は200?300万出すなら『購入時の特別感・満足度のあるデザイン』でないと物足りないと感じやすい。
奇抜さや複雑さを過剰な冴えないデザインとする感受性も確かにあるのだが、逆に『今までとは違うその車種の個性・特別性・イメージ』を作ろうとしたら、『無難で保守的なデザイン(未来志向の変わった部分のないデザイン)』は、『今までとそんなに違わない車(だったら今買わなくていい)』と受け取られるリスクが高まった。
それに加えて、200~300万台の庶民にとっては少し高いと感じる価格帯の車を、計画的・定期的にずっと買い換えてくれる中流層のボリュームが減って高齢化している影響もある。そういった中流層の良顧客が、『もう少し安い車で良い・まだ5年は今のに乗る・カーシェアにしよう』となると、売上は大幅に減ってしまう。