自然災害報道で“写真つきの実名”で報じられるのはどのような人か?:事件事故・災害で実名で詳細報道される問題はあるが…

災害・事件の被害者の写真・名前・情報を記事に掲載する事の是非は難しいが、若者や母子、美人、殉死などのように物語性・将来性のある人のほうが詳細な報道をされやすい待遇の違いはあるように思う。

おなかの命も奪われた 1歳かばうように妊婦の遺体

遺族の許可を取れば、映りの良い写真を報道記事に掲載する問題はないが、人によって『悲劇・被害を多くの人に知ってもらいたい』か『身内だけの問題としてそっとしておいて欲しいか』の考え方は相当に違う。リンちゃん殺人事件では、父親が『匿名報道はやめて、写真と名前を出してリンちゃんを覚えていてほしい』と語った。

基本的に、事件や自然災害の被害に遭われた方に、暴言や侮辱が寄せられることは殆どなく、同情や共感、励まし、義憤の声が集まる事になる。だが、他人のこういった共感的な反応・慰問が自分の心の支えになる人もいれば、逆に赤の他人ですぐに忘れるくせに(興味本位なだけ)と偽善を非難するような気持ちになる人もいる。

個人情報保護やプライバシー権などによって、災害・事故・事件の報道のあり方や写真の使い方、本人の情報の掘り下げ方も難しくなっている。マスメディアの慣習として殺人事件・自然災害・交通事故では、被害者の名前・写真(肖像)を公開することが多い。実害や遺族からの非掲載要請が少ないのもあるのでしょうが。

すべての被害者がAさん、Bさんになると、誰が亡くなったのか遠い知人などに伝わりにくく、事件・事故が仮想的に感じられやすい。被害者の名前報道は広く特定の人が亡くなられたことを伝える訃報の意義もあり、遺族の立場でもAさんか実名かの判断は割れそうです。事件事故の物語的報道は賛否ありますが。

九州豪雨では20名を超える大勢の方が亡くなられていますが、妊娠中の若い母親とまだ小さな子が亡くなられたというのは、『急に未来が閉ざされた感覚・幸せな母子を襲った悲劇・ネット投稿から分かる突然の土砂崩れ』で同情を集めやすく、人一般の心情として強い悲しみや自然の無情を感じさせられやすいですね。

広島の大雨被害でもまだ若い夫婦が犠牲になってメディアに取り上げられましたが、将来性や人生の順調さ、人柄の良さ、家族仲の良さの伺えるようなエピソードが多い人ほど取り上げられやすいのは確かにあります。『その人の詳しい事情を聞いて素直に同情して悲しめる要素』がないと、悪い情報ばかりだと被害者の人となりの情報を掘り下げにくいのもあります。

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