○刑法の規定通り6ヶ月以内の執行が行われないのは、死刑反対の国際世論配慮や法務大臣の裁量もあるが、欧米の死刑廃止論は『悪人を殺し返す事での問題解決(応報刑)』を越えようとする試みではある。
啓蒙的な現代社会は『人が人を殺すことのない社会』を目指すが、殺人には『個人の殺人(犯罪・過失・テロなど)』と『公権力の殺人(死刑・戦争など)』があり、個人の心理・事情が関わる前者は制度設計のみによってゼロにはできないが、後者はゼロにできるためにEU諸国が集団的意思決定としての死刑を否定した。
死刑制度を存置していれば野蛮国、廃止すれば文明国というわけではないが、集団的意思決定としての死刑が存在することは、『殺人(悪とされる個人をこの世から抹消する)による問題解決という価値観・手段』が残されていると解釈される。死刑廃止の思想には『因果応報・同害報復で殺人を正当化するロジックの禁止』もある。
『取り返しのつかない残酷で利己的な犯罪』や『社会・他者に危害を加えるリスクのある反省・後悔のない凶悪犯罪者』に対して、死刑以外の刑罰を与えても犯罪とのバランスが取れないとか再犯リスク・収監コストが嵩むとする死刑存置の意見も説得力はあるが、『殺人・死刑の鍔迫り合いのロジック』を今後も続ける事になる。
集団的意思決定としての戦争・死刑は仕組みの上では無くせるが、遺伝的・環境的・性格的なマイナス要因により反社会性・他者憎悪を強めた個人が殺人を犯す確率的なリスクはゼロにはならない。理性的な啓蒙主義や豊かさで人権尊重の度合いが上がった人類も未だ、犯罪と刑罰と戦争での『殺人の効果』を捨てられない。
死刑廃止論の人道主義的論点は、単純に『殺人者にも人権があるから死刑にしてはいけない』ではなく、正しい目的でも悪しき目的でも『人を殺して目的を達する、従わなければ殺すと脅迫(牽制)することによって何かの利益・秩序を引き出そうとする動物的・軍事的な攻撃性』をどこまで保持し続けるのかという事だろう。
○70代の性犯罪も珍しくない昨今だが民泊の問題ではなく『ホームステイ型民泊・農業体験』の問題だろう。民泊の主流は、マンションの一室などを顧客だけに使わせる方式で管理人は一緒に宿泊しない。
病院・介護施設などでも、高齢者の中には一定の年齢以上になったら『治外法権・特別待遇』とばかりに若い女性スタッフの身体に触るような人もいるが、かつては『迷惑行為での注意』で済んでも今は(程度にもよるが)『警察への届け手・事件化報道化』になるケースが増えている。現代人は高齢でも完全に性的には枯れない。
ホームステイ型の民泊でも、配偶者・家族が一緒での共同生活ならまだしも、男性管理人だけの物件に泊まり込むのは一定のリスクはあるかもしれない。まぁ、山小屋とかだとそんな贅沢も言ってられないが、ホームステイ型の農業体験にしても高齢男性でも部屋で二人っきりになるような状況が多いようだと危ないのかもしれない。
身近な距離にいるおじさん・おじいさんの少女に対する性犯罪の予防の難しさは、若くて人間関係や人の欲求表現の経験の少ない女性ほど、『自分がまったく男として認知していない何十歳も年上の男性だから安全(相手も子供のような自分をまともに女として相手していない)』という根拠のない思い込みを持ちやすい事だろう。