生活保護受給世帯の子の大学進学率の低さが『貧困の連鎖』を招くので、進学しやすい環境を整えるべきだが、『子供の機会平等』を突き詰めると親の収入・資産・意識に差のある現実の社会構造の改善には限界もある。
公的扶助に頼る生活保護世帯と自力救済で踏ん張る低所得世帯との差が縮み、逆に生活保護の方が医療費負担の低賃金労働よりまともな暮らしができる現状もある。日本が平均的に貧しくなっていっている事から『生活保護に対する嫉妬・非難・不満』が強まる悲しい現実もあるが、自己責任社会と少子化傾向は深く相関している。
現代社会では生活保護が保証する『最低限の文化的生活水準』がどこにあるのかのコンセンサスを得ることが難しい。人権意識が低かった昔のように『いかにも貧乏人の惨めな暮らしぶり・身なり』によって生活保護に対する低所得層の納得を得るやり方は許されない。豊かな社会で労働価値の格差が開いた階層・競合の問題である。
国民の納得を得るために『生活保護のほうが低所得の労働者よりも貧しくてつらい部分』があるべきなのか否か、『最低限の文化的生活というのは貧しくてつらいものなのか』という問題がまずあるが、これは現時点では『貯金できないギリギリの水準の給付しかしない建前』によって働いているほうがマシという事になっている。
だが生活保護から自立させたいのであれば親子間の貧困の連鎖を断ち切りたいのであれば、給付金を毎月毎月使い切ってしまう『その日暮らしで貯金できない制度』は自己矛盾であり、現代社会では進学にせよ就職にせよ資格取得にせよ『一定の蓄え』がないと身動きできず養われるだけの存在にはまりこみやすい。
原則論では『親が無知・怠惰・貧乏・悪人でもそれによって子供の教育を受ける権利が妨害されたり他の子との極端な格差があってはならない』や『どんな親の元に生まれても子供の代までダメな親の影響が残ってはいけない』となるが、現実的には理想論だ。階層化が進む格差社会での出産可否の意識・自己規制とも重なる問題だろう。