○子供は親を選んで産まれることはできないが、出産直後からネグレクトがあって日常素行も不良であれば、乳児院も外出許可には慎重な判断をすべきだった。それでも親権解除されなければ血縁上の親の権利は強い。
小さな子供を殴ったり蹴ったり虐めたりできるかは『人間の気質・性格』に拠るが、男女関係も類似した人同士でカップリングしやすいので『児童虐待の歯止めになるべき母』が不在になりやすい問題もある。粗暴・弱者虐待・無思慮でありたくない自尊心を培えるかだが、一定の年齢になると負の気質・性格が固定されやすい。
児童相談所や乳児院から半ば強引に子供を引き取る動機づけが、『心を入れ替えて子供に愛情を持って育てたい』ならいいが『子供の数がいたほうが児童手当が増額される』などだったら目も当てられない。父親は刺青を入れて睨みつける自画像をアップしていたが、外に粋がるのではなく克己心を持って己自身を睨めるかである。
言うことを聞かない乳幼児に頭にくる親はいても、本気で殴ったり蹴ったりできる親はまずいないわけで、言葉も話せてユーモアも理解しはじめる4歳くらいの子供に一方的に大怪我をするほどの暴力を振るえるのは、人格・感受性に大きな偏りがある。小動物や明らかな弱者に暴力を振るえる感性にも似る。
○稲田防衛相の的外れな答弁を聞く限り、日報保管・隠蔽をトップダウンで指揮したとも考えにくく、岡部俊哉陸上幕僚長を中心とした陸自が良かれと思い非公開日報を内輪で抱えていたと見るのが自然だろう。
今回の南スーダンPKOの日報隠蔽問題は、実力組織である自衛隊がスムーズに透明性のある情報公開をするわけではない『秘密主義』の面があることを示した。稲田朋美防衛相の明確な指示がなかったとしたら、閣僚が現場に甘く見られて事後報告されたということで、『文民統制・法治と議会からの逸脱』という解釈も成り立つ。
自衛隊(軍隊)から『あるものをないと偽られる・したことをしてないと伝えられる・重要な事実を事後報告される・客観的証拠となる日報や媒体を隠蔽破棄される』というのは、『軍を政府・議会が制御できなくなった歴史の過ち』から学ぶべき絶対に避けなければならない問題で、政府関係者・防衛相は気を引き締めて欲しい。
その後の内閣改造を前にして、稲田朋美防衛相も責任を取って辞任することとなったが、自衛隊が敬礼で見送る『送別式・栄誉礼』を稲田氏が笑顔で受けたことでメディア・世論で強い批判を浴びていた。