日本の結婚は昭和期まで『異性として好きか』より『家の釣り合い・結婚や出産の義務・女性の扶養』が重視されていたから、共生婚でなくても恋愛結婚や自発的な婚内交渉は元々少なかった面はある。
共生婚というコンセプトは新しいものに見えるが、昔は性的に物凄く好きでなくても、個人の感情や好き嫌いは少し脇に置いて『家・子供のための結婚生活の責務』を最低限果たすといった意識が今よりも強かったという意味で、『子作り・配偶者の世話や互助・家庭生活や実家の問題の共有はする共生婚』に近い人も多かっただろう。
初めから『部屋は別・食事は別・生活費は別(家賃折半)・性生活なし・気が向いたら会話』と取り決める共生婚は、敢えて結婚制度を利用する意義やメリットは乏しいが、異性として物凄く好きな相手とでないと結婚できないという固定観念で結婚できなかった人(経済力はある)の結婚を後押しする一つの新概念ではあるか。
共生婚でも『生理的嫌悪感がない人』のハードルはあるだろうし、少しは異性や人間として好ましい要素のある人と一緒に過ごせば『一緒に食事しながら会話したい・時にはセックスもしたい』くらいの欲求が生まれても不思議でないと思うが、一切の深い接触はノーとすると『性嫌悪・対人恐怖・選り好みの強さ』もあるのだろう。
現代人は共生婚希望者でなくても『他人との共同生活・情緒的交流』にストレスを感じやすい人が増え、『他人に対する好き嫌い(一緒にいられなくなる嫌い・不快・合わないの度合いの許容限度)』が昔よりセンシティブになっているのかもしれない。結婚制度と恋愛・性の実態の齟齬は昔からあるといえばある。
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