戦時中の日本の精神と『捕虜・降伏』を避けた村八分の心理:生まれ故郷・両親に対する特別な思い入れと恐怖

戦時中の日本兵の精神について報告した米国のIBでは、田舎者は天皇の為に死に靖国神社に祀られる事を最高の栄誉と信じたが、教育のある都会人ほど虚構と見抜いていたという。兵士としては三流だが降伏せず捕虜にならないのは、生還すると村社会で激しい虐待や排除に遭うからで、敵以上に味方を怖れて決死の突入をした。

米軍のIB(情報公報)では日本兵が降伏せず捕虜にならないのは『祖国』に還っても村八分・虐待で生きられなくなるからと記す。日本兵捕虜の苦悩は、天皇・公共への忠誠云々ではなく『生まれ故郷・ムラ』から排除・虐待される恐怖にあり、祖国に帰ったら父母から殴られ同胞から殺されるかもという考えの者が多かった。

日本軍だけではなく日本の学校においても、体罰・怒声・虐待による恐怖心を利用した絶対忠誠の植え付けが行われていたが、日本人は特に『生まれ故郷で裏切り者と思われること』を特に恐れ、降伏・捕虜になって生還しても『父母さえ生還を喜ばない・自分も家族も恥辱に塗れ人非人のように攻撃される』という思いが強かった。

捕虜の中には『生まれ故郷・本家や両親のある地域』にさえ戻らなければ、何とか死なずに済むと訴えたほど、故郷のムラと両親に自分が米軍に降伏した裏切り者と知られることを異常なほど恐れたという。こういった挫折・失敗して生まれ故郷・親元に絶対に還れないという価値観は、戦後の集団就職の時代頃まで続いていた。

今でこそ、匿名的な都市環境や甘える友達親子も許されているが、戦時中は元より戦後暫くまで『挫折・失敗によって生まれ故郷や親元に還るのは死ぬよりつらいという村八分やイエの名誉が関連した価値観』は生き残った。1970年代頃まで田舎は長男以外の子は一度外に出ると家に逃げ帰るようなことはできない風習は強かった。

団塊世代前後くらいまで、現代の若者と比べると社会経済的な自立で躓いて家でひきこもったりニートになる人は少なかったが、その根本には『挫折・貧苦・離婚などで生まれ故郷・親元に還ることはできないという村八分・イエの名誉・世間体』があり、ホームレスになって飢え死にする方がまだましというほど拘束感があった。

日本兵を最も恐怖させ士気を低下させたのは『空爆・爆撃』だったという。日本軍はニューギニア戦で空軍の価値を認識、本国にいる日本人は中国戦線における日本空軍の優勢を誇ったが、日本軍中尉はロッキードやノースアメリカンの50機以上の爆撃編隊の連続爆撃を受け、日本空軍は米空軍より一世紀遅れて勝てないと慨嘆した。

航空戦力の劣勢と船舶輸送路の遮断に直面した日本軍人の中には、『米英豪に軍事力の物量・近代化では劣るが我々は玉砕覚悟の絶滅戦争に突入して最終的に勝利できる』という精神論に傾き、各地の戦場で絨毯爆撃を食らって全滅する部隊が続出した。小銃装備の歩兵が、数十機編隊の爆撃機にダメージを与えるのは不可能だった。

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