もっともストーカーになりにくい人というのは、自我の独立性や自己の世界観(自律的な関心事)が確立していて、恋愛の盛り上がっている時期にあっても『自分と相手との人生・人格の境界線(何もかも一緒ではなくお互いに踏み込めない領域もあるのが当たり前という感覚)』を引ける人であり、『相手の人格・主張の独立性』を本当の意味で尊重できる人である。
三鷹市の女子高生殺人事件1:元交際相手のストーカー化の問題と人の見極め
つまり、相手が考えた結果として『別れたい(別れて欲しい)・もう付き合えない』と伝えてくれば、多少の説得や翻意を促したとしてもそれが無理だとわかった時点で、『相手の選択・感情』をそのまま受け容れられる人ということである。
恋愛・結婚が『対等な個人同士の双方の合意』によってのみ成り立つという原理原則をしっかり理解していて、『一度はお互い好きになった相手であっても気持ちや状況が変わることは可能性としてある(そうなってしまったらどんなに粘っても脅しても無駄で自分の人間性を貶めるだけ)』ということを知っている。
更に言えば、そういった恋愛・結婚の自己責任と相手の尊重を知っている上で、『信頼できる相手・極端な理不尽や不義理を働かない相手・心の底から嫌いにはならないような相手』を選べる人であり、上手くいかないならいかないで(冷たく理不尽な対応や手ひどい仕打ちをされたらされたで)、『そういう相手を見極められなかった自分が情けない・この相手にこれ以上構っても良い対応は得られず嫌な気持ちになるだけで無駄』として次に行くだけなのである。
だが、こういった人は確かに逆立ちしてもストーカーにはならないが、恋愛が好きな若い女性にとっては『物足りない情熱が弱い距離のある相手』という風に見られやすいかもしれない。大半の人はお互いが好きな気持ちで盛り上がっている時期には『相手の一途さや熱中・奉仕の裏側にあるしつこさ・諦めの悪さ』には盲目になるし、恋愛・結婚が上手くいっている期間に限定すれば『独占欲・執着性・束縛の異常性(恋愛や自分以外の世界・関心がほとんどないような相手の執着の怖さ)』に気づけない人も多いからである。
相手が理不尽・不誠実で冷たい対応をするからストーカーになっても仕方がないというストーカーの正当化は、心理的なメカニズムとしては理解することはできるかもしれないが、相手が現時点で面会・連絡を拒絶しているのであれば『過去にどんな経緯・情愛があろうと相手の今の感情を受け容れるしかない(どんなに話したくても会いたくても相手が絶対に嫌だというのであれば諦めるしかない)』と理解するのが正常な心理である。
自分を嫌いになったり会いたくなくなったという相手に対して、『それでも俺(私)を好きにならなければならない・会いたくなくても俺(私)と会わなければならない・絶対に永遠に関係を切ってはならない』などと脅して強要したりつきまとったりする権利は誰にもないからであり、そこまで嫌ったり怖がっている相手に執拗につきまとったとして得られるものは何もないからである。
一時的に興奮したり不安になったりして、多少しつこい対応をすることは誰にでもあるかもしれないが、大多数の人は最終的には上記の『嫌がっている相手に無理強いすることの無意味さ・情けなさ』に行き着いて、辛くても悲しくても別れを受け容れる方向へと自分で気持ちを整理することができる。自分と相手との気持ちが完全にすれ違ったり、相手に別の好きな相手ができたりして、どう足掻いても復縁や感情の修復ができないことを理解することができるようになる(どちらが良いとか悪いとかの問題はあっても以前のような関係にはもう戻れないという結果はわかる)。
それがどうしてもできない、別れるくらいなら相手に迷惑を掛けたり嫌がらせ(名誉毀損)をしてやるとか、自分の気持ちや欲求を受け容れないなら殺してやる(それが嫌なら言うことを聞け)とかいうのは、やはりどんなに手ひどい仕打ちをされたり不誠実な振られ方をしたとしても、過去の見捨てられのトラウマや性格形成(精神発達)の歪みの影響なども含めた異常な心理の動きである。結果として、『自己愛・支配欲』を『相手のための愛情』と取り違えていただけとも言える。
三鷹市の女子高生殺害事件では、ストーカーの男性が被害者の裸体・性行為の写真をウェブ上に流出させていたことが問題になっているが、ストーカーの加害行為の一つとして『性的羞恥心の侵害・名誉毀損』は以前からある。
現代のウェブ社会ではこういった元交際相手による嫌がらせのためのリベンジ・ポルノが深刻化していて、アメリカのカリフォルニア州では過去の配偶者・恋人の性的な情報を流出拡散させる行為を特別に取り締まる法律が制定されたりもしているようだが、ストーカーの現実判断能力の低下や自滅的思考(損得勘定の放棄)を考えれば罰則があるから流出をやめるとは考えにくい。性的な写真・動画を撮らせないというのが最大の防衛策ではあるが、『相手への信頼感・まともな対話の可能性・感情に流されない理性と倫理』が少しでも揺らぎそうな場合(相手)には特にそういったデータは残しておかないほうが良い。
根本的なストーカー被害の回避には、深い関係になる前にストーカーになりそうな相手を見極めて避ける(ストーカーにならないような相手を選ぶ)とか、ストーカー化させないような相手の納得できるような別れ方を考えるとかしかないが、『異性関係のもつれの怖さ・面倒さ』を知らない若い頃には、そこまで慎重で本質的な相手選びができにくいという問題は解消しがたい。
『本人の性格・ノリ・雰囲気・考え方』によって自然に惹かれる相手も変わってしまうものであり、異性の魅力・評価はストーカーになりやすいとかなりにくいとかの視点だけで決まるものではなく、安全・無難でしつこくない人(人間関係をメタレベルで達観して相手の決定を常に尊重する人)でありさえすれば良いというものでもないので難しい。
とはいっても、ある程度の人間関係や人生経験、危険な他者(偏った性格を持つ人)とのやり取りを重ねることによって、外観・気分だけに流されやすい若い時期よりかは少しずつ、『他者の人間性の本質・その人の判断基準の中核にあって揺らがぬもの・その人の理性と倫理の信頼度(その相手が最低限の人道を踏み外すような人か否か,暴力や逆恨みに打って出るような人かどうか)』くらいは結構な確度をもって判断できるようになってきたりもするので、付き合う事前には全く相手の危険度や性格上の問題のある癖が分からないというのも言い過ぎではあるかもしれない。