○「都会(公共交通機関・店舗が充実)」と「田舎(車が必需品)」の違いは大きい。車・家はお金がかかるから不要の価値観もあるが、お金がかかるからステータスで欲しい(その為に仕事を頑張る)の価値観もあるわけで、経済状態にもよるしどちらが良いとは一概に言えない。
家と車を手放せばハッピーに!? 「賃貸」「シェア」の時代へ (http://mixi.at/agpFoeS)
通勤や買い物でほぼ毎日車を使う人であれば、(特別に高い車・排気量の大きな車を買わなければ)車を所有した方がコストは安くなる。通勤や買い物に車は使わずたまに旅行・遊びだけに車を使うような人であれば、レンタカーやカーシェアでも良いだろう。田舎だとレンタカーもカーシェアもないという根本的な問題もある。
趣味・ロマン・ステータスのために車を買いたい価値観も理解できるし、車に趣味的にはまっている時期は、ピカピカに洗車するだけでも楽しいこともある。収入とのバランスで無理せず生活が成り立つなら、車でも家でも本当に欲しければ買うべきだ。若い人ならデートで車があるかないかで気分や親近感、行動範囲も変わる。
反対に、「車や家にたいして興味がない(車は乗れればいい・家は住めればいい)」「将来の不安が強くお金を貯めたい」「異性に対し安定収入や職業、センスをモノでアピールする必要が薄い環境・年齢にある」「家族がいない」などであれば、無理してまで良い車や家をローンで買っても、自分の主観的満足度は高くなりにくい。
家や車は「家族の幸福のイメージ・経済的な安定感や一定の所得水準の現れ」ともつながっているので、「結婚するか・子供を持つか・正規雇用の仕事をしているか(それらの現実的な予定や努力があるか)」によって持つべき否かの判断基準は変わりやすい。特に一人で生きていくなら家や車への欲は落ちやすいともいえる。
異性・誰かや世の中に認められたいという欲求、自分の社会経済的な成果を形あるもので示したい欲求は、かなりの割合で、高額な耐久消費財である家・車のローンを組むかどうかと関係している。実用性・必要性もあるのだが、広告を見ても分かるように、家・車は幸福や家族、豊かさ、センスのイメージで売れやすい商品である。
○怨恨や利害も含め、正当防衛や継続的な虐待・圧迫など以外で「他者を殺したい心理」になるのは理解しがたいが、精神分析的な解釈では殺意を向ける対象が違う人に変わる「転移」もあるのだろう。
20代女性「無言で襲われた」 札幌の事件、突然襲撃か (http://mixi.at/aicNJOF)
無関係な赤の他人を傷つけたり殺したりしても、自分自身には何のメリットもないし、ただ面倒くさい逮捕・処罰の状況に陥るだけのように思うが、「転移(虐待・いじめ・孤立などの怨恨の他者への転換)」と「社会憎悪(社会全体が自分を拒絶・否定していると感じる被害妄想)」が関係した無差別殺傷・通り魔は多い。
殺人にまで行かないとしても犯罪をしない理由は、他者に危害を加えてはならないとか他者の気持ちや価値に共感するとかいう「倫理・道徳」もあるが、傷つけたり殺したりしても何も利益・喜びが得られないという「功利主義」も大きい。特に他人に束縛されたり干渉されるのを嫌う自由主義者としては、犯罪は有り得ない気がする。
万引きのような窃盗でも、店員・警備員に拘束されて説教を受けたり、警察から聴取されたり逮捕されたりして、「不自由・時間喪失・不快感の不利益」が途轍もなく大きく、倫理・道徳を抜きにして数万円の窃盗をしても割に合わない。殺人なんて下手をすれば死刑、上手くしても10年以上は刑務所に収監されるわけで。
僕などは同じ部屋にずっと強制的にいたり人に監視されるのも嫌で、閉所も好きじゃないので、懲役・禁固のような刑務所暮らしは冷暖房完備でおいしい食事があっても御免被りたい。自律神経の調子が悪いので「拘束感・不自由の圧迫」で拘禁反応が出て刑務所で死にかねないので、数億円の見返りがあってもやめておくな。
人は自由と選択を愛する限りは、無謀な犯罪をしないというのは一面の事実であり、無差別に人を刺して長期的に監禁されるよりも、好きな時にぶらっと散歩したり山登りしたり人とおしゃべりしたり、最新テクノロジーを分析したりしながら生きていきたいものである。不本意な場や作業に拘束される時間の無駄は嫌なものだ。