○「不良=モテる」という単純な図式は昔もないが、不良(悪ぶった人)の方が早熟で見かけにこだわり、異性関係・性に積極的という違いがあった。今も昔も、不良か非不良かの二元論では決まらない。
“不良=モテる”は古い! いま「モテる男子」の3条件とは? (TOKYO FM +)
昔は不良の方がモテたとしたら、その理由は「校則を破ってでも格好つけておしゃれをしたから」という事かもしれない。昔の中学校は校則で、男子は丸坊主、女子は三つ編み、長髪可でも眉上でカットなど「見た目を格好悪くするルール」も多く、不良は髪型・服装・化粧など「見かけを格好よくするルール違反」に熱心であった。
今は極端に見かけをださくする校則は減り、おしゃれな普通の生徒が増えている。また昭和50~60年代くらいまでは学校生活に暴力・ハッタリのヒエラルキーがあって、不良は「動物的勢力的な強さの見せかけ」で、一部の女子を惹きつけたのもある。不良でなくても「堂々としている・集団で影響力がある」は今でも魅力だろう
一方、恋愛・文化・価値観などで女性原理が強まる現代では「動物的な男らしさの競争原理である暴力・強さ」が過去より評価されなくなった。「男性の女性化・男女の中性化」により男性も旧女性ジェンダー的な美やもてなし、柔らかさで評価されやすくなった。美の基準が男性でも「美肌・綺麗など女性ベースの基準」に傾いた。
昭和期までの理想的な男性ジェンダーは「気は優しくて力持ち・不言実行や剛毅果断・色男の否定(男は見かけにこだわるな)」だったが、平和な現代では女性も男性に「色(見かけの美しさ・柔らかさ)」を求める度合いが強まり、男女の性別役割分担が家庭・仕事だけでなく心理・性の部分でもフラット化の過程にある。
昭和の不良文化は、今から振り返れば、「俺に黙ってついてこい・先輩後輩の上下関係」などに象徴される家父長制・暴力ありきの男性ジェンダーの断末魔の面もあった。「歴史的な戦争・暴力の否定モード」とも相関する。働く女性も増え、強さや権力・支配より優しさや美しさ(癒し要素)が男にも求められ始めた。
○「一人でも行きやすい場所・楽しみやすい場所」は、基本的には「映画館・図書館・美術館・ジム・登山」など一人で集中したい対象や活動がある場所だろう。
ひとりで利用したくない場所1位「焼肉屋」、2位「居酒屋」 一方「お好み焼きはひとりの方が旨い」の声も (キャリコネ)
一人の良さは自分だけの都合と気分で即座に目的地に向かって行動を起こせることで、現地でも何をどのくらいの時間楽しむかを気兼ねなく自由に決められる。だが「常に一人の状態」はやはり面白さやテンションが低下する可能性はあり「人とおしゃべりしたり共通の体験をしたりする楽しさ」も人生では無視できない重みがある。
とはいえ、「自分が一緒にいたいと思える相手・見たり話したりしていて楽しい相手」ばかりとピンポイントで行動を共にできるわけでもない。大抵は、同じコミュニティーに属する友人知人、結婚・家族・恋愛・仕事など固定的な関係性にある相手と行動することになり、それを楽しいと思えるかどうかの個人差はある。
すでに関係性やコミュニティーが成立している範囲で自分が合わせてまで共に行動したい人がいないなら、自然に単独行動が増えていく。家族・恋人がいても同僚がいても合わないと感じ始めた場合、一緒に行動しないケースは多い。単独行動を楽しむ人の何割かは、軽いコミュニケーションや関わりを「現地調達」する人でもある。
一人でいることを気にしすぎる人は自意識過剰とも言えるが、「友人・恋人・配偶者・家族などがいるかいないか」によって、人間の価値や人生の充実度が変わる信念が強い人とは言える。一人でいることを「自由・自律・選択の確保」と考えるより、「誰からも好かれない認められない・寂しい」という風に考えやすいのである。
極端に一人で行動することを嫌う人は「自分が一人で行動する人を見下す傾向」を持っている事も多く、自分がそうなりたくはない恐れが必然に内面化している。こういった人は「知っている人(関係が出来た人)としか話せない=一人でどこかに行っても誰とも話せない」という事も多く身近な関係・縁を大切に維持する人でもある。
「一人で行動するのが好きな人」と「一人で行動するしかない人」は違うし、「一人でも誰かと一緒でもどちらでも楽しめる人」と「絶対に一人がいい人(絶対に誰かと一緒にいたい人)」もまた違う。若い時期はともかく、一定以上の年齢になると「一緒に出かける相手」を維持するには、固定の関係性かメンテナンスが必要である。
一人で行動するのが好きな人や必然に単独行動が増える人の多くは、「知人に自分からはメールも電話もほとんどしない人(向こうからの連絡にも返信率が低い人)」や「コミュニティへの帰属感が薄い人(過去の人間関係・時間を余り懐かしまない人)」「自分一人でのめり込む趣味や活動の比率が大きな人」がやはり多い。
常に誰かと一緒に行動したい人は、その逆で自分からの連絡やコミュニケーションがマメで、コミュニティに帰属感が強く過去の人間関係に哀愁・懐古がある。それほど乗り気でなくても「付き合いとして色々な会合に参加するタイプ」でもある。「人とのつながり・共同性の重視度」と「精神・行動の自由度」のバランスで変わる。
○約20年の運転歴で「危険走行で煽られる・降車して脅される被害」にも「ノロノロ運転の車のせいで到着が遅れた被害」にも幸い遭った事がないが、せっかち・イライラ・疲労感・対抗心があると他車にキレやすい。
あおり運転:暴行容疑で立件検討 警察庁が全国に指示 (毎日新聞)
あおり運転常習者は「他の車がどうこうした」の直接の原因よりも、車に乗る段階から「むしゃくしゃして面白くない・イラついている・社会や人が気に入らない・とろくさい奴はのほほんとしてむかつく・俺は急いでいるんだ・そこのけそこのけでいつも前のめり」などメンタル・性格面で何らかの不安定があることが多い。
元々イライラしていたり、落ち着かない焦燥感・空虚感があったりで、「何らかの自分の意思・行動を遮る他者からの刺激」が少しでもあれば、反射的にキレかねない所に、煽り運転・因縁のきっかけを見つけたケースが多い。初対面の相手に対する言葉遣いも「すいません」でなく「おいお前」から入って無用のトラブルを招く……
少し前の夫婦が死んだ高速道路の事件は「直前の捨て台詞をめぐるトラブル」があった。「運転前の対人トラブル・口論をひきずって追いかけてくる煽り運転」も多い。相手の怒りや悪意を誘発して置き去りにすると、しつこい相手は追いかけてきやすい。注意されてキレた相手の殺傷事件は昔から多い。