Life contains but two tragedies. One is not to get your heart’s desire, the other is to get it. Socrates
人生に二つの悲劇あり。一つは最も欲しいものを手に入れられないこと、もう一つはそれを手に入れてしまうことだ。 ソクラテス
真理探求の哲学の始祖とも称される古代ギリシアのソクラテスは、『産婆術』と呼ばれる反駁の対話法によって、何者も確実な知の基盤となる土台を築けていない事実(無知の知)を暴露しようとしたが、ソクラテスの人生は『問いのための問い』というある種非生産的な試みの繰り返しの中で『共同体の敵』と指弾されて潰えた。
ソクラテスが『心からの本当の欲望の対象』を手に入れられないのも悲劇だが、それを手にしてしまうこともまた悲劇だといったのは、ソクラテスが自身の手によって『著作』を一冊も書かなかったこと(ソクラテスの事跡・発言のすべてはプラトンやアリストテレス以下の弟子の記述に依拠する伝聞である)にも反映されている。
『手に入れてしまった知識(体系化・検証を待つだけの知識)』そのものを、恐らくソクラテスは当時の知識人の探究心を失わせる固定観念(正しさと決められたものを固守するだけのスタンス)として嫌ったのだろう。無知の知は現代科学にもつながっている『終わりなき真理探求・仮説志向の前提』だが、例えば、宇宙の摂理を矛盾なく示す大統一理論が完成したという安堵を得た時に、理論物理学者にとっての大統一理論はドクサとなって、それ以上の真理を求める興奮や感動は弱まる。
より日常的なレベルでいえば、憧れている理想の対象の価値は『手に入らないこと』によって何倍にもなるが、それが手に入らないもどかしさや欲求不満に苦しむ。しかし、いざ自分の所有する物になったり自分を受け容れる人になったりした時に、かつての理想の対象(遠い対象)が持っていた神聖・特殊の感覚は次第に失せて、当たり前の環境を構成するものになってしまう。
Everything is excess! To enjoy the flavor of life, take big bites. Moderation is for monks. Robert Heinlein
あらゆるものを激しく過剰に。人生の妙味を楽しむためには、大きく齧り付け。節制・禁欲などは、(世俗を捨てた)修道僧のためのものだ。 ロバート・ハインライン
日本でも『夏への扉』『宇宙の戦士(スターシップ・トゥルーパス)』がSF小説の金字塔として有名だが、アイザック・アシモフやアーサー・C・クラークと並ぶSF界のビッグスリーだったロバート・ハインラインは既存社会の支配的価値観に反抗するカウンターカルチャーの唱導者としての影響力も持っていた。
R.ハインラインの政治的立場は可変的であり気分的なものであったため、時に保守的・権威的なストーリーの作品を書き、時にリベラル・革新的なストーリーの作品を書いたが、ハインラインの多くの作品を貫徹する信念は『個人の自由・反権威主義・ポリアモリー(複数恋愛)』であったとも言われる。またヌーディストとしての奇妙なライフスタイルもあり、ミシェル・フーコーと同様に社会の規範的な婚姻・恋愛・性のあり方に適応できない苦悩もあったらしい。
ハインラインは、精神分析のウィルヘルム・ライヒなどにも通じる『性の解放・フリーラブ思想』にのめり込んだ時期もあったが、宇宙や銀河系、未来世界、肉体と精神、自律と他律を題材とする壮大なSFのモチーフは、『社会・国家・国際・地球からも離れた自由なイマジネーションとデザイアの解放』が原動力になっていたという。
『すべてのものを過剰にせよ』と小説内の主人公に大言壮語させたR.ハインラインにとっては、地球の重力にも似たあらゆる物理的世界のルールやしがらみが耐え難く煩わしかったのかもしれないが……宇宙・未来のディテールを想像して記述するだけの精神の極大の自由度、既存秩序から観念で突き出ようとする衝動性があればこその作品群なのかもしれない。