夫婦間の『会話の短さ・欠如』は珍しくないかもしれないが、

意図的かつ長期間の『無視・無反応』は実質的な関係の破綻、相手の人間性の否定のようなものだろう。

夫が妻を「23年間無視」 長期間の会話ゼロは「精神的DV」なのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130520-00000392-bengocom-life

口を開けば喧嘩になるだけなので話さないようにしようなど、双方が同意の上であれば、お互いが家でできるだけ顔を合わせないようにしてそれぞれで生活をする『家庭内別居・家庭内離婚』という形態もあり得る。

しかし、どちらかがそういった冷戦状態に精神的に耐えられないのであれば『別居・離婚』に至ることになるだろうし、一言も話したくないとか相手が話すこと全てにイライラするとか、顔も見たくないとかいうレベルになると、通常は共同生活は著しく困難となり別れるだろう。

生活を共有していない恋人時代には、会話が少ない(弾まない)とか全くないとかいうことは、よほど無口(寡黙)な人でないと余り考えられないが、付き合いが長期化したり生活時間を共有しはじめると、『共通の話題がなくなる人・相手の話すことへの興味がなくなる人・仕事や家事育児が忙しくて雑談する気持ちの余裕がなくなる人』もポツポツと出始める。

相手のことを知りすぎて話すことがなくなるという場合もあるが、『相手の話しかけてくる内容や質問に意識を向けて答えるかどうか』ということが重要であり、それと合わせて『相手がゆっくり会話できるような余裕・時間がある状態にあるかどうか』の見極めも大切である。

仕事や家事育児に追われて疲れきっているような時期の相手に対して、『自分にもっと親身になって構って欲しい・自分の話をしっかり聞いて気の効いた返事をしてもらいたい・子供よりも自分を優先して欲しい』などと甘えた欲求をぶつけてもまず通用しないわけで、逆に『この人は自分のことだけしか考えていない人だ・こんなに忙しい状況や疲れた表情を見てどう振る舞うべきかも分からないほどに鈍感なのか』という形で対人評価を落とすことにも成りかねない。

23年間も妻を無視しつづけてまともに話をしなかったというのも異常な状態だが、その理由が『子ども中心の妻に放ったらかしにされ、すねていただけだったが、その後は引っ込みが付かなくなってしまった。妻のことは大好きで、ずっと話したかった』という嫉妬・いじけ(子どもとの母親の愛情・関心の奪い合い)というのも、年齢相応の精神の深化や人格の成熟が感じられない理由のようには感じられる。

夫婦や男女の間においては、些細な行き違いや嫉妬・不満から、いじけたり拗ねたりしてしまう(相手の注意を引くために困らせようとしてしまう)こともあるだろうとは思うが、不快な態度を延々と長引かせて折れないし改めない(相手が折れて優しく接しているのに容易には受け容れない)というのは、それが男性であっても女性であっても性格面における『粘着質な面倒くささ・一方的に気を遣わせられる横暴さ』の印象を強く与えてしまうことになる。

それだけの無視・制裁をされても仕方がないような、極端な過去の悪行やDV、身勝手な借金、不倫、迷惑行為などがあるケースもあるだろうが、日常の些細な喧嘩や愛情不足、嫉妬(自分をもっと構って欲しい)などを理由にそこまで無視するのは行き過ぎである。

何十年間も口を聞かずに会話に応じない、それでも妻が相手に気を遣い続けるというのはあまりに特殊な事例なので考えても仕方がない気がするが……一般論としては何らかの出来事で怒ったり不機嫌になったりしても、相手との関係をその後も円滑に続けていくつもりなのであれば(決定的に絶縁するほど嫌いになったのでなければ)、基本的には次の日くらいまでには機嫌を直して、お互いの問題点を改めるべきだとは思うが。

まぁ、何度も同じような悪行やトラブル、迷惑行為を引き起こして、反省することなく悪びれないような相手(謝って済むような問題ではない著しい精神的危害や平穏な生活に対する脅威を与えているような相手)が、翌日にはケロリとして何事もなかったかのように明るく話しかけてきてムカつくというような『人間性そのものに対する懐疑・生き方や振る舞いに対する生理的拒絶』がある場合には、長期間にわたって無視されても仕方ないかもしれないが……それはそれでもはやそこから(今さら)努力しても修復不能な事例とも言えるのだろう。