If I had my life to live over, I would try to make more mistakes. I would relax. I would be siller than I have on this trip.
Don Herold
私がもう一度人生を生きられるとしたら、今よりももっとミスをしようとする。リラックスして、今回の人生の旅よりもっと構えずにバカになりたいね。
ドン・ヘラルド
(ロバート・ハリス『アフォリズム』より引用)
『もう一度人生をやり直せたらどうしたいか?』という問いには、『もっとしっかり勉強しておけば良かった・もっと進学や就職を真剣に考えるべきだった・あの時にミスやバカをしないようにすべきだった』というような“今よりもストイックな生き方”を求める答えや後悔が多かったりする。
アメリカの作家のドン・ヘラルドは、64歳の時に書いたエッセイ『もっとたくさんのデイジーを摘もう』で、『想像上のリスク・トラブル・失敗に怯えた人生の損失』を大きく見積もって、『もう一度生きられたら今度はもっとバカになって考え過ぎずにやりたいことをどんどん迷わずにやる』というもっと楽しみたかったの心情(それなりに自由奔放に生きた人物だったにも関わらず)を吐露しているのが面白い。
準備したり用意したり積み上げたりといったプロセスは、一般に備えあれば憂いなしにつながる有効なプロセスではあるが、『想像上のリスクや妄想的な不安感の回避(完全な防御)』のためだけの“遊び心・自由度・チャレンジの欠落し過ぎた人生”にならないようにすることもまた『自分の人生』を生きる上で大切である。
Well behaved women rarely make history.
Marilyn Monroe
行儀の良い女性は、めったに歴史を作らない。
マリリン・マンロー
ここでいう行儀の良いお上品な女性(大人しく自己主張の強くない女性)という表現には、男性社会のジェンダーに適合した女性といった意味も感じられる。特に、20世紀以降のアメリカ文化の女性のスターや政治家、セレブリティにはお行儀の良い女性は少ないかもしれず、『時代の中心的な価値観・女性としての役割規範やイメージ』にカウンターを食らわせないと歴史・世論は動かなかった。
ハリウッドで破格の成功を得たマリリン・マンロー自身が、華やかでありながらも個人・女性として必ずしも幸福な人生を送れたとは言えない側面があるように、『歴史を作り変える・歴史に名を残す・社会文化的な価値観にインパクトを与える』といった突出しようとする人生もまた、必ずしも『個人(男性・女性)としての幸福』と一致しないものだとは思うが。
Men are little boys pretending to be man, and women are women pretending to be little girls.
Anonymous
男は男の振りをしているだけの少年、女は少女の振りをしている女である。
The best love affairs are those we never had.
Norman Lindsay
最高のラブロマンス(恋愛)は、実際には起こらなかったロマンス。
ノーマン・リンゼイ
オーストラリアの画家のノーマン・リンゼイは、幻想的・官能的な裸婦画を多く書いたというが、“視覚的な魅力と刺激・関係の浅い段階での相手の理想化”から自分にとってのラブロマンスの本質を見てとったのだろうか。
現実の馴れ合いと生活感、要求の増加によって想像力によって構成されるロマンスは弱まっていくものだが、いったん始まった恋愛ロマンスは『相手の理想化・自己イメージの維持・非日常と性愛』から、次第に『現実の生活・本当の自己と他者との向き合い』に収斂していきやすいもの。情愛や信頼、安心、助け合い、リラックスといった良い意味での多くの変質を含めて、男女関係は無闇に心が浮き立たないベクトルに向かって日常の一部のように適応していく。
深く付き合っておらず、普段の人間性(繰り返される日常から浮かぶ本性)をよく知らない好みに感じる異性は、ラブロマンスや情事のイマジネーションを掻き立てやすいが、それは実際には深まらなかった関係(生活や考えの細かな部分についてよく知らないというか生き方や考え方の違いに悩まなくても良い相手のまま終わった)であればこその理想化の影響もある。