映画『舟を編む』の感想

総合評価 90点/100点

膨大な時間をかけて、見出し語24万の今を生きる辞書『大渡海(だいとかい)』を地道にコツコツと作成・編集し続けた人たちの姿を描く。時代設定は、PHSが発売されて間もない時期ということだから1990年代の前半くらいだろう。如何にも地味で華がないように感じられる『辞書・辞典』の類の作成は、出版社では極めて人気のない部署であり、若手の社員は辞書編集部に配属・転換させることを退屈な仕事やキャリアからの脱落として敬遠している。

辞書編集に精力的に取り組んできたベテラン編集者の荒木公平(小林薫)が定年退職すると聞いた国語学者・監修者の松本朋祐(加藤剛)は、『荒木君の代わりを務められる人がいるとは思えない』と愁眉を寄せるが、軽薄な若手社員の西岡正志(オダギリジョー)が見つけて連れてきた営業部の馬締光也(松田龍平)は辞書作成に対する意外なほどの熱意と適性を見せる。松本の馬締に対する期待と評価は次第に高まっていく。

馬締光也(まじめみつや)はその名前の通りに真面目を絵に描いたようなカチコチの男で、とにかく本が好きだからということで出版社に就職してきたのだが、声が小さくてボソボソとしか喋れず、人付き合い(社交)が苦手という性格が災いし、配属された営業部では全く成果が出せずに使えない社員の位置づけになっていた。

そもそも馬締は『本を読むこと・集めること』が極端に好きなビブリオマニア(書籍蒐集家の読書人)であり、『本を売り込むこと・書店や他者に薦めること』が好きなわけではなかったために営業では成績が伸びる余地がなかったのだが、下宿先の自室が本で全て埋まってしまうほどの本好き・文字好きの性格や嗜好が『辞書作成の仕事』にぴったりとはまるのである。

西岡正志もはじめは馬締の真面目すぎる遊びの要素が乏しいキャラクターをからかったり、自分の問いかけにまともに反応せず自分の考え事に耽っていたりするコミュ障じみた馬締に苛立ちを覗かせたりもする。

辞書作成には10年、20年以上の歳月がかかると聞いた西岡は、いつ終わるかも分からないこんな地味で退屈な作業は無意味だという風に感じるが、馬締はそれを聞いて『そこまで広大な言葉の世界にじっくり向き合うことができて、言葉の大海に浮かぶ見出し語に自分が一つずつ語釈をつけていくのだ』というライフワークじみた感想を抱いて更にやる気を沸き立たせるといった具合で、西岡と馬締の感じ方は正反対である。

だが、馬締はただコミュニケーションの取り方が不器用なだけで西岡に悪意を持って接しているわけではないため、世間慣れした今風の感性・価値観を持つ西岡から様々なことを吸収していき、恋愛の悩みではアドバイスを貰ったりもする。

西岡も西岡で、『言葉の世界』に対する純粋な興味と感動をモチベーションにして、黙々と辞書編集のための『用例採集・用例カードの分類・語釈』を正確にこなしていく馬締にある種の敬意と共感を覚えるようになる。現在進行形で生まれて使われている新しい現代語や砕けた造語について詳しい西岡は、松本や馬締から『現代語担当は西岡で決まり』という期待も寄せられ、持ち前の交渉力・社交性も活かしながら辞書編集部にとって必要不可欠なポジションを占めるようにもなる。

馬締は膨大な言葉の世界を渉猟して定義する仕事をしていながらも、『話し言葉のコミュニケーションへの応用』はからきしダメで、同じアパートに下宿して板前の見習いをしている林香具矢(宮崎あおい)への気持ちを伝えきれず、悶々とした葛藤を溜め込んで仕事にも影響がではじめる。何気ない世間話や仕事の話、香具矢が作った料理の味見などでは、それなりの会話がポツポツとできるのだが、いざ恋愛や付き合うといった話になると全く話せなくなる。

契約社員の佐々木さんからはラブレターを書くことを勧められ、二人がお互いに好意を持っているように見えた下宿の家主のタケおばさんからは、それとなくデートをセッティングして貰ったりもする。

香具矢の仕事用の包丁の買い物につきあって包丁の種類のレクチャーを受けたり(包丁関連の用例採集もしたり)、遊園地の観覧車に乗ったりしたデートはそれなりに良い感じで終わったのだが、生真面目過ぎる馬締が香具矢に書いたラブレターは、『天高く馬肥ゆる秋~』から始まる筆文字の草書体で書かれた時代錯誤な候文のような巻物の恋文。読んで感想を聞かせてほしいと言われた西岡は、『まず読めなきゃ話にならないだろう(普通の人は読めないだろう)』と苦笑して呆れながらも、『とにかく渡してみろよ』と返事を返した。

馬締と西岡の間に奇妙な友情関係が芽生えて辞書作成へのやる気も高まっていくのだが、『辞書編集事業の不採算性(辞書は時間とコストがかかるわりに大して売れずヒットにならない)』が経営部会で問題となり、『大渡海作成のプロジェクト』そのものが中止になる危険性が出てくる。辞書プロジェクト中止の危機を、西岡の勢いのある交渉力でなんとか乗り切る。だが、その時に出された交換条件によって西岡は辞書編集部を去らなければならなくなる。

西岡は彼女の三好麗美(池脇千鶴)に『辞書編集部なんてつまらない部署だ・馬締は暗くて友達になれるようなタイプでもない』などと愚痴をこぼしていたのだが、自分が辞書編集部を外される可能性がでてきた時に、麗美から『もう退屈な仕事をしなくてよくなって良かったじゃん』と言われてその考えに同意できずに押し黙ってしまう。

気づいた時には、西岡も馬締ほどではないにせよ、『大渡海』の今を生きる辞書を作るというコンセプトに深くコミットしていて、自分のやるべき作業に誇りを持っていた。自分のやっている辞書作成の仕事に離れがたいこだわりを持つようになってしまった西岡は、馬締の部屋での送別会じみた飲み会で涙を流して、辞書完成までの後事を託した。

監修を務める国語学者の松本朋祐は、馬締の歓迎会の酒席で『大渡海』というネーミングの持つ理念や目的について語るのだが、それは馬締の苦手な他者との正確なコミュニケーションの成立にまつわる目的を含むものでもあった。

広大無辺な言語の海を舟で渡りながら用例採集を続け、他者に自分の意志や気持ちを伝えたいという人間の思いに応えられるリアルタイムで使える言葉の語釈を加えていく(他者との言葉にまつわる共通理解の基礎を作る)という大渡海の理念・目的に感動した馬締は、『大渡海』の完成までひたすら自身の人生の時間と仕事の労力を注ぎ込み続ける。

松本は、新しい言葉が絶えず生み出されているのと同時に、使われなくなった古い言葉の中には死んでいくものもあると語り、『言語世界の生命性(新陳代謝)のダイナミクス』を示すのだが、このダイナミクスが辞書の編集作業のリアルタイム性と更新(改訂)の必要性を突きつけてくる。どんなに素晴らしい語釈に満ちあふれた網羅的で体系的な漏れの少ない辞書を作ったとしても、それは必ず時代の波と言語の誤用変化、若者の造語によって古臭いものへと変質していく宿命の中にある。

松本は『今までの言葉・語用』だけを正しいものと固定する権威的な言語観を否定して、言語を絶えず生成変化を続ける生命的な言語観で捉えている。『新しく生まれた言葉・若者が好んで使う造語や略語・誤用の慣習化(時代に定着してしまった間違った用法)』もまた日本語の大海を構成する新要素として認め、自分自身も脳や意識を古い言語観のままに固定させないために、進んで『新しい若者言葉・造語や略語』を用例採集しそれを実際に使ってみせるという進取のユーモアを忘れない。

映画『舟を編む』は辞書の作成・編集というちょっと変わった題材を取り上げた映画だが、『世界の写像・文化(意味)の保存』あるいは『意志・感情の伝達手段』としての言語についてのロマンを感じられる作品である。世間一般の多数派からは地味で退屈に見えるであろう『用例採集・見出し語整理・語釈(言葉の定義)の作業』の中に、『人間の終わりなき知的探究心を支える言語の世界の広さ・深さ』を伺い知らされ、長期にわたって新鮮な意欲を保てるライフワークとしての仕事にありついた人の幸福を思わせられる。