関係性のない他人を注意する事は難しい時代。犯罪未満の迷惑行為を注意する理由は『公共性・常識感覚』になるが、一般人では説得的な影響力のある立ち位置が概ね定まらない。
新宿駅で高校生の首刺す=態度悪さ注意され立腹―元組員を殺人未遂容疑送検・警視庁
迷惑行為やマナー違反を注意する場合でも、『行為の客観的な評価』だけでは収まらず『注意する人と注意される人との関係性・感情的葛藤』が絡み、大半の人は『注意の仕方・言葉遣い』で迷うもの。幾ら迷惑行為をしていても高圧的・指示的な物言いで注意できるのは関係や威圧感において優位な立ち位置にある人だけとも言える。
結果、タバコ・ごみのポイ捨てを注意する場合にも、自分よりも威圧感・腕力のなさそうな相手(女性・子供・高齢者)を選んで注意するといった対象の無意識的選別が起こりやすくなり、明らかに不穏な空気や暴力的な外観・ならず者の集団を呈示していると大半の人は注意できない。
なぜ注意されると瞬間湯沸かし器のように激怒する人がいるのかの心理的理由も、この『無意識的選別の推測』にあり、『人に注意される程度に自分の力・威圧が弱いと見られたこと』を相手に舐められたと受け取る種類の人がいる。この事件もうらぶれた60代と見られ注意されたと思い込んだ元暴力団の小さなプライドが起点か。
自分が間違ったことをしていて注意されたのだから、常識的には『自分の行為の過ち』を認識して改めればいいのだが、『相手との力関係』を無意識的に探ってしまう事で『俺が大した事ない相手に見えたから注意された』と被害妄想的に受け取ってしまう人もいて、人生に鬱屈・不満のある泥酔者は特にその確率は高いだろう。