日本国憲法の三大原理:国民主権の実際及び立憲主義による国家権力の抑制

日本の政治・社会には元々『原則主義(立憲主義)・合理主義(数字)・個人の尊厳』が欠けている所があり、日本国憲法の意義は『国家権力(国の国民の自由制限)の有効性の限界』を示したことにある。

<数字で見る憲法>68年目の日本国憲法 3大原理は何?

現代でもたかが不心得な一企業(強欲な経営者)の権限・命令で『個人の人生・健康・幸福』がぼろぼろにされるブラック企業問題があるが、それが憲法の人権規定に制限されない国家権力ならば企業とは比較にならない個人への支配力を持つ。教育・監視・徴兵・行政と刑罰で、どんな理不尽があれど個人では凡そ抵抗不能となる。

また日本にはジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーの社会契約説の考え方もなく、国家権力が『個人相互の自然権の委譲(元々は自分達の力)』によって成立したという思想的物語を信じる人も少ない。権力は『お上(天皇)・政府の強制力』として認識され、一般庶民は主権者の建前はあっても統治される従属者に陥りやすい。

権威主義・群集心理の権力観は、戦前の天皇制や自由民権運動の弾圧とも関係する。民主主義体制が築けなかった19世紀以前のアジアは『アジア的専制』と呼ばれたが、中国・北朝鮮・少し前の韓国も社会契約説の国民主権のリアリティは薄い。日本も経済大国・中流社会の利点を失った時に主権・人権・平和主義の強度が問われる。

キリスト教など一神教との相性が悪く、厳格な原則主義を好まず、法運用の曖昧なグレーゾーンを残す日本では、硬性憲法の日本国憲法であっても『解釈改憲』でその規制力はかなり弱められてきた。条文改正の改憲をすれば『現状適応の解釈』は更に一歩先に進み危ういが、改憲せずとも例外を作り現状適応するのが日本だろう。