竹島問題は1945年の敗戦でGHQに占領された日本が、領土侵害に対抗する防衛力とその行使権限を持たなかった事で発生した失地問題。マッカーサーラインで竹島を外した米国の不作為の後遺症でもある。
ダグラス・マッカーサーは日本の漁業可能水域をマッカーサーラインによって区画したが、そこに竹島を加えなかった事は意図的な領土削減の政略というよりも、『当時の竹島の領土の重要性』をアメリカも日本も強く認識していなかった事の結果論である。
1952年1月の李承晩ラインの一方的な設定と竹島の実効支配に対して、当時のアメリカが強硬な反対姿勢を示していれば『米軍の軍政統治』から独立したばかりの李承晩軍事政権(経済力も軍事力も未だ弱体である)も譲歩せざるを得なかったが、アメリカはそこまでの介入はしなかった。日本も『敗戦のショック・国民の関心の薄さと厭戦・韓国併合の負い目』で、不法占拠に対する抗議に留まった。
李承晩ラインが引かれて竹島が不法占拠されたばかりの時期には、『敗戦のショック・軍事忌避(日本軍は壊滅・自衛隊の創設前)・平和憲法』によって、日本が竹島を奪還する実力も民意もなかった。日本が本格的な高度経済成長期に突入するとメディアも国民も『竹島の領土問題』を余り意識化しなくなった。
高度経済成長期には『辺境の島』よりも『産業の振興・労働者の所得倍増・公共事業の増発とインフラ整備・地域の均衡発展』のほうが圧倒的に重視されたからだが、本来竹島の不法占拠を政治問題化するならば、日韓基本条約締結の1965年以前の『日本漁船の拿捕・日本人の拘束や死傷者』が多く出た時のほうが深刻な状態だった。
竹島問題の解決に際して、アメリカが日米安保条約を適用して実力行使の解決を承認することなど有り得ず、それは中国が絡む領土問題も同様である。また日本人の多数派が、竹島奪還のために日韓関係の崩壊(東アジア情勢の紛争化・市場の暴落)や自衛隊の人的損害を容認することも有り得ない。
竹島問題を実力行使で解決に導くことはできず、自分自身や自分の家族・大切な人が殺されてでもその島を奪還したい覚悟がない人が軍事的解決を訴える事は無責任かつ無益だ。結局、時間をかけて李承晩ラインの歴史認識をすり合わせ、第三者の中立的判定を仰げるICJへの付託に韓国をコミットさせていくしかないだろう。
国家主権が極端な排他性・独占的権益性を持つ事から、竹島・尖閣諸島の問題は解決も対話も困難になっている。だが歴史的には海洋上の国境線は長くアバウトなものであり、未来のアジア全域の協調の必要を考えれば、各国が一方的な海洋主権のゴリ押しを抑制し冷静な歴史的道義的な議論に応じる理性や成熟を示すべきだ。