『人口減少社会』に直面する日本と人口1億人維持の目標設定:少子化・未婚化が進行する要因

少子化対策の意識が『社会保障と経済成長(労働力・消費者候補のボラティリティ)・現行の経済レベル維持』になっていて、子供の幸せ・希望が二の次の印象。自らの人生を楽しく思う大人が増えないと難しい。

人口1億人維持に力点=法人税下げ、調整続く―骨太原案

この人生を生きられて楽しい、この相手と出会えて良かった、生きている事は基本的に素晴らしい(子供にもこの社会・体験機会を残してあげたい)と感じられる人でないと、現代では積極的に子供を多く産むメンタリティにはなりにくい。子供を育てやすい環境整備、前向きな人生観・社会観、本能・生活と知性・情報のバランス等が求められる。

50~60代以上の親世代までは『結婚・出産育児』は共に、それをするかしないか選ぶものではなく、みんなが半ば義務として絶対にしなければならないもの(そうしないと特に女性は生活が成り立たないもの)でしたから、『現代の若年層の選択的な結婚観(育児観)』とは全く異なる視点や価値観(世間体)に立っていますから相互理解は難しいかも。

現代であれば、不妊治療に象徴的ですが『親の選択・意思としての出産(自分が産みたいから子が欲しいから産む)』という意識が強いですから、『出産に対する責任感・プレッシャー』は昔の親よりも相当に強くなりやすく慎重になるでしょうね。

少し前までは、子供は社会の宝とまでいわなくても、血縁集団や地域社会、知り合いの間で、子供は『みんなから歓迎され温かい関心を向けられる存在』でしたが、現代ではあからさまに『自分とは関係のない存在(子供に迷惑をかけられたくない)・親が自己責任で面倒を見るべき』といった無関心さも目立ってきてますね。

お金がなくても幸せという人や事例はいくらでもあるはずですが、『極端な貧困・欠乏・不自由』は親にも子供にも歓迎されるものではないですね。お金と時間(労力)のトレードオフの観点では、巨額の収入や地位名声のための過酷労働よりかは、適度な収入と労働のバランスが好まれることはあるかもしれません。

農村経済的な人間関係を軸にした物々交換や自給自足の領域がなくなってきており、都市部を中心にして『お金がなければ何にもできない社会・環境』が急拡大しており、好むと好まざるとに関わらず『拝金主義・競争主義への屈服(経済的心理的余裕のない生存)』に落ち込みやすい罠が現代にはあります。

まぁ、他人とあれこれ比較して優越感や劣等感を感じる人にとっては生きづらい時代ではあり、中流階層の溶解プロセスの中で『貧困・無力・悲惨のスティグマ』から逃れようと必死に浮かび続けようとする窮屈さもある。市場・虚栄・不平から距離を置き、必要以上のカネ・地位に執着せず自然に楽しく生きられる人が真の勝者かも。

子供のためにしてやりたいことがしてやれないもどかしさや不甲斐なさが経済力のない人に想像されやすいこと(周囲の子供と同じような中流階層に近い程度の人生・教育・楽しみを与えられそうかどうかにこだわってしまっていること)が、出生率がなかなか上がらない一要因ではあるでしょうね。