恋愛もまた『巧遅』であるよりかは『拙速』であるべきか(孫子の兵法):ストーカーになるリスクを回避するためのアプローチ論

警察官(警部)という職業(職位)の世間的なイメージや45歳という年齢(常識的には、知らない20代女性に対してナンパを仕掛けるには不釣り合いな年代)はともかく、電車・街中であれお店であれ、気になった女性がいればアプローチする自由はあるが、アプローチを間違ってストーカー化すれば犯罪行為である。

45歳男性警部、「一目ぼれ」でストーカー行為

この45歳警察官のストーカー行為は殺害・暴力につながるような凶悪度は低いが、一方的に恋愛感情や劣情を抱かれて個人情報を密かに調べられ、何をされるか分からないと感じた20代女性の恐怖感・不安感は想像するに余りある。

近年、ストーカー犯罪が増加傾向にあるが、その大半は『元恋人・元配偶者による未練や執着』によるものであり、『一目惚れした知らない異性に対するつきまとい』の比率は低いが、ストーカーの心理的問題は『好きであれば何をしても良い・好きだから仕方ない・相手の直接の返事を聞くのが怖い』というような恋愛感情の不適切な表現や一方的な押し付け、傷つくことの回避による隠れた行動にあると考えることができる。

警部は一目惚れした若い女性と接点を持ちたかったと動機を語っているが、2011年から3年近くもの間、隠れながらつきまとっていて『会話できるくらい・メルアドや電話番号を聞くくらいの接点』も作れない、拒絶されるのが怖くて正面から話しかけられないのであれば、『縁がなかった相手(自分に自信・行動力・決断力がないから仕方ない)』として諦めるのが筋とも言える。

古代中国の兵法・軍事の思想家である孫子は、戦争に勝つための時間的な要因として作戦篇で以下のように述べている(漢字は現代的な文章として意味が通るように改めた)。

その戦いを行うや、久しければ則ち兵を疲れさせ鋭を挫く、城を攻むれば則ち力尽きる。久しく師(軍)を暴せば則ち国、用(財)足らず……故に兵には拙速を聞くも、いまだ巧久を見ざるなり。それ兵久しくして国利ある者は、いまだこれ有らざるなり。

(戦いを行う時には、長引けば兵が疲れて鋭気が失われる、長期の城攻めをすれば軍の力は尽きる。長期にわたって軍事を行えば、国家財政は枯渇する……だから戦争では、多少拙いところがあっても速く決着をつけて終わらせる『拙速』はあっても、長引かせて上手くやるという『巧久』の作戦は見たことがない。そもそも、戦争を長期化させて国の利益を得たという者は、今までいたことがないのだ。)

この孫子(孫武)が語る古代の戦争のシンプルな原則論は、ある程度まで現代のビジネスや恋愛(男女関係)にも応用することができるが、ここでいう城攻めするは『ストーカー化する恐れがある好きな異性への入念過ぎる遠巻きのアプローチ』であり、端的には『自分が断られるリスクと直面しないで済む篭城戦』のようなものである。

女性と偶発的な接点を持つためにつきまとってしまうという自己防衛的な心理は理解できないものではないが、そのつきまといやこそこそとした行動はそれを知られれば『相手から嫌われる・気持ち悪がられる』ことが確実なものである。『相手から見えない場所で動く行為』が長期化すればするほどに相手と普通に話せる機会を見失っていき、こそこそ隠れている自分に対して自信もなくなっていく。

そもそも、初めから知らない相手に対して、『今』ではなく『明日あさって・一週間後・一ヶ月後・数年後』にまで、話しかけるチャンスや話す内容、それに相応しい場面を延長させ続ける意味など何もないように思える。

いくら実際に話しかける時間を先延ばししたからといって『相手の自分に対する印象・評価』も何も変わらないし、知らない異性に対して『拙速(できるだけ早く話しかけて相手の答えを得る方法)』であることの不利益は何もないと言っても良い。

断られたり無視されたり、既に別の相手がいると言われればショックかもしれないが、早くに結論を得られれば自分自身の人生の時間も無駄にならず、ストーカーと疑われかねない後ろめたいというか情けない行為もせずに済む。

堂々と正面から話しかけてみて断られたほうが、隠れながら相手の周辺をうろつき回るよりも圧倒的に潔くて印象が良く、その姿勢があれば次にもつながるコミュニケーション上の教訓を得られるはずである。

『見栄えの良い若い女性のほうから近寄ってきて接点を作ってくれるような奇跡(自分の自尊心や好意を若い女性が勝手に汲み取ってくれて安心できる方法で近づいてきてくれる)』を、中年世代の男が期待するというのは虫が良すぎるとも言える。

そもそも何の接点も共通点もない相手(しかも年齢まで離れているとなれば)と親しくなろうとすれば、『断られたり冷笑されたりする確率が圧倒的に高い(基本的には無理な試み)』というのは前提である。親密な関係になるとか云々を妄想する前に、数分間の短時間でも自分に合わせて話し相手になってくれればラッキーで、相手の優しさや愛嬌に感謝すべきという話なのである。

相手から決定的な拒否の返事を引き出さないようにという『巧遅の自己防衛』に徹して、隠れながら相手の様子を伺うほうがあらゆる面において不利益・リスクが大きいし、そういった自分の姿・気持ちを隠しながら遠巻きに近づくやり方で、意中の知らない女性と付き合える関係にまで発展したという例は聞いたことがない。

むしろ、ストレートに相手に興味を持ったことや気に入ったことを伝えたり、季節天気・服装髪型・書籍・買い物(飲食)の場などからそれとなく共通の話題を作り出したりして、まず話しかけてみる『拙速・自分をさらす・あっさりした対応』のほうが『巧遅・自分を隠す・粘着質なイメージ』よりも、結果がダメであっても相手の印象(自己評価への影響)はいくらかマシなのではないかと思う。

自分が相手の立場に立ってみて、不気味さや陰湿さ、怖さを感じるようなストーカー的なアプローチが論外というのは言うまでもないが、『姿の見えない相手から一方的な愛情と称される監視・尾行・調査・盗撮』などを受けてそれを好意的に受け取ってくれる人はいるはずもないし、男であってもかなりの恐怖心・不安感を感じてしまうはずである。