橋下徹市長の“本音ぶっちゃけ外交戦術”は世界(米国)に通用するか?:2

前回の記事の続きになります。『日本の従軍慰安婦問題』を『世界各国の戦時の女性の権利・尊厳の侵害の問題』にアクロバティックに置き換えて、議題の中心的なフォーカスを『戦場(軍隊)と性の問題』に合わせ直している。このすべての国々が女性の権利・尊厳を守らなければならないという普遍的な権利感覚や問題意識は正しいとしても、同じ会見の中で過去の謝罪をしながら、『日本も悪かったですが、あなたたちも同じ穴の狢ですからお忘れなく』と釘を指すような牽制をするのは、やや結果を欲張りすぎな観はある。

橋下徹市長は頻繁に公人(政治家・役人)であればおよそ口に出さない『大衆的な本音・俗情』をぶっちゃけてみて相手の反応を伺うという話術を好んでいるが、駐日米軍に対する『合法的な性風俗業を活用してはどうか(米兵だって性的な欲求不満の対処法で困ってるんだろう、女がいない男だけの集団ってのはそういうもんだ)』というぶっちゃけトークは、公人としての態度を保った米軍司令官からは冷たくあしらわれ、米軍では売買春は禁止されているからとあっさり断られた。

橋下市長は日本における合法的な風俗を違法な売買春と誤解されたというニュアンスで話していたが、『米軍司令官の問題意識・対話のやり取りの重点』はそんなところにはなく、『下世話なぶっちゃけトーク』に合わせるつもりはないということであり、『建前の公人としての判断・遵法意識』を貫くだけということである。

橋下市長のぶっちゃけ外交戦術の目論見は、『本音と本音のトーク』で冗談でも交えながら語り合うことで『同じ穴の狢としての妥協点・相互理解』を引き出すというようなものであるが、それは大衆や素人の有権者には通用しても(あいつは着飾ってなくて本音を語るので親しみやすいなどと思われても)、国際的な会談・会見の場では相手がそこまで砕けた俗物の本音をさらけ出してくる可能性は低く、『建前としての倫理・常識』によって厳しい非難を受ける恐れがある。

日本外国特派員協会で行った記者会見で、橋下徹市長が見せた『ぶっちゃけトーク』は、世界の国々がタブーとしている『戦場(軍隊)と性の問題やその歴史』を真摯に取り上げるものであった点は評価できる部分があると思う。

結局のところ、総力戦や外地滞在型の戦争をすれば、弱い立場にある女性の権利・尊厳が必然的に侵害されやすくなること(精神状態が異常に興奮した軍の完全な規律維持は幻想であること)は明らかであり、これは『平和主義・戦争放棄の精神(日本維新の会の共同代表である石原慎太郎氏が否定するところの憲法9条の精神)』を諸外国に説いているような“シニカルな言論構造”を持っているのではないかと思う。

『戦争をしてはいけない・女性の権利と尊厳を犯してはいけない』という現代の先進国・国際社会にとってはほとんど当たり前のように受け容れられている『スタンダードな価値観』を改めて強調した形になったが……このスタンダードな価値観もまた『建前・形式としての価値観』に押さえ込まれて『本音・体制としての戦争の大義名分(女性の権利侵害)』に流されてしまうリスクは絶えずある。

橋下徹市長はこの『戦争と性の問題』の抜本的解決に本当に強い意欲があるのであれば、『諸外国も既に承認している建前の価値観』に実効性(それを本当に守らせる仕組み)を持たせるにはどうすれば良いのかを考えなくてはならないのだろう。誰が聞いても正面からは否定しにくい『正論・建前』を、とにかく粘り強く主張し続けてその意思を決して曲げないというのは、万年野党である社民党・共産党のお得意の戦術であるが、実際の選挙では『正論・建前』を連呼する政治家や政党はあまり人気がないのが常である。

橋下徹市長は『戦争をしてはいけない・女性の権利と尊厳を犯してはいけない』という人道的なルールを、過去に日本だけではなく多くの国々が破ったではないか、それを反省して繰り返さないようにしなければならないという『正論・建前』を強い口調で語ったが、橋下氏らしい政治姿勢の強みを発揮するのであれば、『正論・本音・利害』で諸外国にプレッシャーを掛けて正論を飲ませる必要があるのだろう。

しかし、今回の外国特派員協会での『国家といえども人権・人道に背く間違ったことはとにかくしてはならない。どの国も過去の過ちはすべて明るみに出して(隠さずに)みんなで反省して二度と戦争や女性の権利侵害を繰り返さないようにしよう』という会見の中身はストレートに受け止めれば、いわゆるリベラルな人権派・護憲派の『教条論・正論至上主義』のようなものである。

橋下氏や維新の会は『人権保護や男女同権を最優先する人権派・護憲派』に鞍替えするつもりなのだろうか……石原慎太郎共同代表の国粋的な憲法観・国家観・歴史認識との間には埋め難い懸隔があるようにも感じるが。