映画『エンダーのゲーム』の感想

総合評価 82点/100点

人類に侵略戦争を仕掛けてきた昆虫型生命体フォーミックの第二次侵攻に備えて、世界中から集められた資質・能力のある少年兵士たちが『バトルスクール』で鍛えられて前線に送り込まれる。宇宙戦争のための知識と技術、戦略を学ぶバトルスクールは厳格な階層制が敷かれているが、『戦いを終わらせる選ばれし者』として召集されたエンダー・ウィッギン(エイサー・バターフィールド)は短期間で頭角を現して、理不尽なしごきや嫌がらせを仕掛けてくる先輩を逆に打ちのめして恫喝する。

小柄な体格とひ弱そうな外見を持つ少年エンダーだが、冷徹な判断力と別格の戦闘・戦略のセンス、不屈の自尊心を持っており、バトルスクールに集められる前から『やられたら相手が反撃不能になるまでやり返すの戦術』を徹底している。バトルスクールのクラスを牛耳る支配的な先輩に挑発されて、バスルームでタイマンを張ることになるが、頭部に想定外の大きなダメージを与えてしまい、先輩を脳死状態に追いやってしまう。

エンダーは簡単に同情心を抱くことのない冷徹な少年であり、仕掛けてきた相手(初めに制止しても攻撃をやめない相手)を打ちのめすことに対する罪悪感や後ろめたさを感じたことはなかったが、偶然とはいえ先輩を死にまで追い込む極度の攻撃を加えたことに対して、本当にそこまでやる必要があったのかという心の迷いを初めて感じる。

ウィッギン家は宇宙戦闘のセンスに優れた一家だが、エンダーの兄ピーターは戦闘センスは抜群だが、あまりに残酷かつ嗜虐的であるが故に自滅してしまった。『自分よりも強かった兄の残酷さに対する恐怖心』が、今度は自分自身の内面にある抑えようのない攻撃心に向けられるようになり、上官である大人のグラフ大佐(ハリソン・フォード)らが求める『敵を全滅させられる徹底した攻撃心・無慈悲さ』を備えることに対して抵抗感や迷いが生じ始めてしまう。

グラフ大佐は、先輩のいじめに反撃して相手が死亡するほどの攻撃を与えたエンダーの『容赦のない攻撃性・徹底性』を高く評価しており、迷いなく相手を殲滅するだけのメンタリティを持つ非情な戦士でなければ、フォーミックとの最終戦争に勝利することはできないと考えている。

だが、エンダーが攻撃性を発動するための条件はあくまで『フォーミックが人類を全滅させる侵略計画を立てていること(フォーミックが先制攻撃を仕掛けてきて人類が自衛のために反撃すること)』であり、エンダーは繰り返し見る夢の中で『昆虫の外観をしたフォーミックの心』に触れるようになる。その結果、フォーミックが本当に人類絶滅を企てているのかに対して懐疑するようになってしまい、人類のフォーミック掃討作戦の必要性(被害者としての人類のスタンス)を確信できなくなる。

エンダーを、人類の命運を賭けた最高司令官として十分に働かせるため、グラフ大佐はエンダーら防衛軍の子供たちを騙す一計を案じる……SFの宇宙戦争の戦闘シーンの映像には見ごたえがあるが、エンダーの『戦士としての適格性・メンタリティ』と『他者の心を想定する倫理観の芽生え』という心理的葛藤の描写もなかなか緻密で良かった。

エンダー自身は登場の初期から、冷えたクールな精神を持ち戦いのための日々に疑いを抱かない戦士という感じで現れるのだが、『兄・姉との家族関係の影響』や『ペトラというバトルスクールの女友達との友情』『フォーミックが出現する夢』などを通して、自分自身の攻撃性・非情さ(敵を徹底的に滅ぼすための精神・能力)の持つ『倫理的な正しさ(敵とされる他者の意図・考え)』に向き合わざるを得なくなっていく。