ピーター・ドラッカーというと『マネジメントの創始者・実践的な経営学や組織論』というイメージが強いが、個人レベルの時間管理術やワークスタイルでは『選択と集中・強み(得意)への集中投資』を主張した。
時間と労力の有限性を前提として、『苦手なこと・嫌いなことを克服するための労力』よりも『得意なこと・好きなことを練磨するための労力』のほうに時間を費やすほうが、『単位時間あたりの成果・結果』は格段に大きくなるということを強調した。SWOT分析の原型めいた考え方である。
それは苦手なことや嫌いなことを克服する場合には、その成果が『人並みになること(平均に何とか追いつくこと)』に留まりやすいのに対して、得意なことや好きなことを練磨する場合は、『人並み以上になること(大半の人ができない水準に至ること)』になるからでもある。
最も問題なのは、嫌々ながら不平不満を持ちながら仕事や勉強をすることは、結果のパフォーマンスを落とすだけではなく、致命的なミスや他人に対する危害にまで発展する恐れがあるということである。好きか嫌いかという以上に『自発的にやり甲斐・面白さを見つけられるセンス』が大切になってくるが、『自分が好きと思える集中できる要素+誰か・何かの役に立って貢献できているという感覚』がなければ仕事も勉強も上手くいかないし、人生全体も苦行めいたものになりやすい。
義務教育段階では五教科の平均を均しながら高めるような方法が重視されやすいが、人生全般における時間・労力の使い方では『自分が自発的に努力できる結果もだせそうな領域・活動』に集中投資したほうが得られるものは多くなりやすい。働くことや学ぶことが苦痛・義務ばかりになればいずれはその活動から遠ざかりやすいが、そこに楽しみ・充実・承認などを感じられれば、今やっている仕事・学びをもっと高めて極めたいとするモチベーションにもなる。
P.ドラッカーの時間管理の前提は以下のようなものだが、『時間の希少価値・不可逆性(一回性)』を強調しながらも、人間は時間を浪費せざるを得ない存在であるという現実認識も踏まえている。
1.時間そのものは貸し借りできない。
他人に報酬を支払って、自分の代わりに何かをしてくれるように依頼することはできるが、『1日24時間(そのうち睡眠時間が25%以上)』の時間の単位を増やすような貸し借りはできない。
2.時間は蓄積・保存ができない。
やるべき仕事を早めに多く片付けることで自由な時間を作ることはできるが、今日の余った時間を蓄積・保存しておいて、明日以降にその時間を有益に使うということはできない。
3.時間は逆行しない、他のものと代替できない。
失敗や後悔があっても今より前の時間に戻ることはできないし、時間(寿命)の代替となる他の何かは存在しない。
『時間の希少価値・不可逆性(一回性)』を認識すれば、自分の時間を『自分の望まない活動や相手・何の成果や喜びにもつながらないこと』に浪費することの虚しさや勿体なさに気づく。
一方、『自分が時間をどのように使っているか』を知ったり記録したりできても、『自分の想定するもっとも理想的な時間の使い方(特定の物事・活動・相手に割くべき時間配分)』を実現することは簡単なことではなく、絶えず『予定外の事象・本質的ではない雑事・義務的な他者とのやり取り』に対応する必要もある。
現在ではスキマ時間や細切れ時間の活用を勧める方法も多いが、ドラッカーは『時間をまとめることの効果』を語り、バラバラの断片的な時間だけを積み重ねても簡易な情報のチェックや事務的な雑務・記憶以上の効果は得にくいとする。
系統的な思考の連続性や目的的な文章記述(レポート・論文・創作物)の推敲には、少なくとも1時間以上の単位でのまとまった時間を集中投資する必要があり、数分単位の小さな時間単位では思考の連続性を維持しづらいからである。
組織論と時間管理の相関では、『システムの欠陥や人員過剰・組織運営や会議過剰の欠陥・情報交換や意思決定の停滞』が指摘されるが、これらは端的には『自分自身の果たすべき役割や仕事内容の希薄化(自分以外の誰かがやっておいてくれるはず・逆に自分しかできないから誰にも任せられない・成り行き管理で適当にやればいいという意識)』を生む組織の巨大化や権限・責任の寡占のデメリットとも重複した問題となって現れやすい。
繰り返し起こっている『時間の浪費・喜び(やり甲斐)や成果を生み出さない時間の使い方』に対してどう改善できるかは、『行き当たりばったりの成り行き管理の離脱』と『自分の時間の使い方に対する明確化(記録と分析・変化)』にかかっている。
同じ時間に複数の業務や勉強を同時並行的にしようとする『マルチタスク』は、いずれの業務も集中力・徹底性が不足して中途半端になりやすいという意味で問題であり、いくつかの異なる作業・勉強をしなければならないとしても『まとまった時間のシングルタスクを組み合わせる形の選択と集中』こそが必要である。
何かを達成する『生産的・効率的な時間』だけではなく、自分や相手を楽しませる(休ませる)『充足的・休息的な時間』も必要であり、『時間に追いかけられるだけの忙しさ』と『時間を無意味に捨て続ける浪費』から上手に遠ざかるような後悔のない時間管理が望ましいものになる。
何もしないことが悪いことではなく、『あぁ、ゆっくり休めて良かった、気持ち良い時を過ごせた』と満足できて次の活動につなげていけるような無為は効果的な休息・リラクセーションであり、『あぁ、どうしてこんなに無駄な時間を過ごしてしまったのか、こんな風じゃ自分はダメだ』と不満を覚えて心身がだらけきって何もやりたくなくなってしまうのが時間の浪費・無駄遣いなのである。
時間の浪費は『過去への執着・モノや情報の貯め込み過ぎ・重要でない部分の仕事へのこだわり』によっても生じるが、この辺はドラッカーというより『断捨離』系の考え方になってくるかもしれない。
知識や情報は一般に有益だが、人間の脳の記憶とそれを活用できる範囲のキャパシティは有限であり、知識・情報を得れば得るほど効果的な判断や生産的な活動ができるわけではなく、必要と状況に応じて『さしあたって必要ではない本・情報』は思い切って捨てて顧みないほうが思考の自由度(頭の働きの軽さ)は上がることが多い。
現時点において何らの成果や喜びをもたらさなくなっている『過去の仕事・活動・未練への執着』といったものも、時間やエネルギーの浪費を引き起こしやすい。『現時点における自分の価値・目的・喜び』に照らし合わせて、今考えたり実行したりしても価値がないものは積極的に捨てて選択と集中の再編を行うべきである。
ドラッカーのいう『優先順位(先にやるべきことの順番)よりも劣後順位(今やらないほうがいいことの順番)のほうが重要』の考え方は、今やらなくても良いことの断捨離を示唆したもので、『重要度や効果の低い仕事・勉強・活動』をある程度までふるいに掛けてからその中で優先順位をつけるという方法である。
優先順位よりも劣後順位、過去よりも未来、保守よりも変革、横並びより独自性というのが、P.ドラッカーの経営理念の方向性を示すとされるが、これは『現状維持のリスク・過ぎ去ったものにしがみつくことの不利益』を意味しており、常に時代と条件が移り変わり続けるという無常性(随時の環境適応)を前提としていた。
仕事における『選択と集中』の方法論は、経営における迅速かつ有効な意思決定にも応用されているが、これは『本質的ではないアドホック(その場しのぎ・見せかけ)な多くの活動』に割かれる時間と労力のリスクを指摘したもので、『仕事・勉強・決定事項の対象となっているものの数の多さ(あれもこれものマルチタスク)』が増えれば増えるほどに時間・労力の投資対効果が落ち込んでいく問題(すべてが中途半端な達成に終わりやすく最も優れている強みとなる分野も伸びない問題)を孕んだものである。