遠野なぎこの短期離婚は二回目だが、『別居婚・子供がいない』というほぼ独身と変わらない自由が担保された生活条件で、相手からの被害があるわけでもない状況で、離婚しなければならない特段の理由はないようにも思うが。
結婚制度や夫婦の責任を軽視しているという意見もあるが、逆に『行政・法律の結婚制度』に異常なほどの関心や執着があり、実際の生活は何ら変わらないのに『ただ籍が入っているだけという現状』が何らかの理由・こだわりで許せないのか。
別居婚で束縛も経済的負担もないなら、結婚しているままでも問題ないはずだが、あるいは相手の男性が家庭や子供を欲する常識的な型の人で、『この条件・生活なら結婚していても意味はない,ずっとこのまま別居婚で家庭の実態がないなら別の相手を探したい』という離婚の申し出をしてきた可能性もあるのだろうか。
形式・届け出だけの結婚は経済的利害もないなら無意味といえば無意味にも感じるが。遠野なぎこ氏のいう『妻』としての形に縛られて負担になる(キャパシティを超える)というのは、ストレートに解釈すると『夫・家庭のために献身すべき義務感の意味』だろうが、別居婚の55日間で耐えられないのは『現実の負担』よりは『トラウマによる家庭像や夫婦観の歪曲・感情の乱れや信念との不一致』なのか。
遠野なぎこ氏の求めている『別居婚での結婚関係の継続』と、相手の男性が求めている『いつかは今の状況が変わるかもの期待』とが擦れ違った可能性もあるが、『一般的な婚姻とは違う婚姻の永続化』を望むのであれば婚前に十分な理解・納得を得ていなければならない。それでも人は自分の望む変化を期待してしまうかもだが。