総合評価 78点/100点
ASKAこと宮崎重明被告が保釈金700万を支払って仮釈放された。その事件のシンクロニシティではないが、この映画もシャブ(覚せい剤)の青少年への氾濫と家庭・生活の崩壊を題材にしたはちゃめちゃ系エンターテイメントである。
ドラッグに誘惑されやすい精神的に追い詰められた人や安易な快楽志向の人には悪影響もありそうな、ポップドラッグカルチャー(ポップな麻薬汚染)や少女少年の売春、いじめ(いじめを越えた組織犯罪・麻薬汚染への取り込み)を絡めている。
内容的には、美少女がとんでもない非行や人格破綻に突っ走っていって自滅するバイオレンス(スプラッターでもある)・サスペンスといったところか。元刑事である少女の父親も、人殺しに傷害・DV・強制わいせつ・脅喝に何でもありの暴れっぷりで完全にどうかしてしまった感じである。
『愛情に溢れた明るい家庭・親子関係』を夢想しながら、自分の人格の異常性・衝動性のせいで自ら全てをぶっ壊してしまうのだが、家庭崩壊やトラブルの責任を全部妻・娘に押し付けて『くそが、ぶっ殺してやる』など呪詛を吐いて暴れている。
ぼろぼろな身だしなみで酒・女・暴力に溺れつつ、警察をクビになって落ちるところまで落ち、行方不明になった娘の次第に明らかになる非行・残酷行為に直面して娘をボロクソに非難しながらも、自分自身も車内で当たり前のように薬(娘が失踪時に置いていった薬)に手を出しているという自己矛盾ぶり(反面教師が極まる乱れきった落ち切った生活ぶり)である。
映像的にはグロテスクな流血とか痛々しい場面とかも散発的に出てくるが、端的には『家庭環境の悪さ・DVを繰り返すいかれた暴力親父・不倫に溺れる母親による少女の非行と人格破綻』がベースになっていて、そこに『家庭・学校・社会の問題+警察幹部の不祥事隠蔽』といったテーマが加えられている。
容姿端麗で誰にでも優しい優等生の藤島加奈子(小松菜奈)が部屋に全てを残したまま失踪したが、その持ち物には少量のシャブのパッケージが残されていた。
娘が何か犯罪に巻き込まれたのではないかという元妻の依頼を受け、父親の藤島昭和(役所広司)が娘の行方を追うのだが、『娘の知らなかった悪・狂気の部分』が次々と明らかになっていく。コンビニで3人が刃物で惨殺された残忍極まる殺人事件にも、娘が間接的に関わっていたらしいことまで分かってくる。
初めは学校の不良生徒に薬を無理強いされてやらされたと思い、中心的人物だった松永泰博を締め上げて娘の居場所を吐かせようと考えた昭和だったが、実態は、優等生だったはずの加奈子のほうが、その不良たちに薬を売りつけたり売春組織(変態オヤジが集うクラブ)に誘ったりしていたようだ。
高齢の大富豪チョウを清楚で淫靡な魅力を使って虜(とりこ)にしている加奈子は、学校や街で未成年の犠牲者をかき集めて道具のように利用し、裏社会での影響力を強めていた。最終的には、犯罪組織だけではなく警察組織からも狙われることになるような『決定的な情報漏洩』を行った加奈子は、大勢の悪人から追いかけられる危機的状況でその消息を絶ってしまっていた。
学校でいじめられている男子生徒『ぼく』(清水尋也)は、いつも加奈子を見つめて妄想・崇拝している純情な少年である。その『ぼく』を思わせぶりに誘惑してパーティーに誘い、強制的な同性愛売春に引きずり込むなど悪辣な行為をしており、薔薇の花には刺があるの『陰日向(裏表)の激しいサイコパスな美少女』を新人の小松菜奈が演じている。
“優等生・美少女・性格が良い子”という表面的なキャラクターを作り上げている加奈子を評して、友人の森下(橋本愛)は『自分の魅力を知っていて誰にでも優しくして、十分に相手の心を惹きつけて絡め取ってから、最後の最後で裏切ってめちゃくちゃに壊してしまう』と語る。
娘の加奈子は、知らないうちに『心が空っぽのモンスター』のような存在になってしまっていたが、なぜ加奈子がそこまで壊れて異常・無慈悲になってしまったのかといった謎解きの形で物語が展開していく。バイオレンス親父・役所広司のぶち切れた演技、にこやかに笑いながら警察の悪事に加担する元後輩・浅井(妻夫木聡)のむかつく演技も印象に残るが、父親である藤島昭和も娘がおかしくなった一因なのだが、本人は『理想の家庭の妄想』を抱くばかりで自省・自己改善の意識は完全に欠けている(それどころか余計におかしくなり粗暴・堕落の度合いを強めていく)。
後半で殺し屋のオダギリジョーが出てきたりと、俳優陣も色々な人が参加している作品ではあるのだが、バイオレンスの表現やサイコパスな悪行がちょっとくどい、娘の消息の種明かしにももう少し意外性というか物語の余韻が欲しかった。