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“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

高給になりやすい仕事の特徴・負担、「あおり運転」の摘発強化、札幌・12歳少年の女性刺傷事件

○高給になる仕事の本質として、『匿名的な誰でもいい従業員』ではなく『顕名的なあなたにお願いしたいプロやプレイヤー』になるということがあるが、名刺を出さず顧客に個人として認知されない人の給料の低さとも相関する。正直いえば、報酬が上がるとしても専門家やサービス者として自分を指名されるとプレッシャーもある。

大勢の中の一人として働くほうが、気持ちとしては「楽」ではあるが、収入は安くなりがちである。開業医や弁護士、社長などで自分の名前を出して営業するのは、最終的に責任・損失を負う個人が自分以外にいない、上に回せないプレッシャーはある。バイトでクレームを受けても上位者に回せて後は眠れるが、自分個人に依頼される仕事でクレームや損害を食らうと精神を壊す人もいる

○高速道路をよく利用した時期もあるが幸いにも煽られた経験はない。走行車線を90~110キロで定速走行、希に140キロは出てそうな暴走車や、左右に落ち着きなく車列を縫う車線変更をする車はいる。

「あおり運転」摘発、7625件=昨年、9割近くは高速上-警察庁 (http://mixi.at/agpiaQu)

因縁をつける相手・車両を意図的に探しているような相手に目をつけられたら、煽り運転や暴力沙汰のトラブルに巻き込まれる恐れはあるが、車間を詰める勢いで飛ばしてくる車(左右の車線変更が慌ただしい・道路中央を走ったりで落ち着かない車)は、左車線によければ勝手に抜いて去ることが大半ではある。

極端に飛ばしている車を敢えて追走して追い越すなどの競争的な運転でのトラブルもあるが、「常識はずれの運転をしているドライバー」と関わりを持っても得をすることは一切ないだろう(事件化も覚悟で車から降りていって喧嘩をしたい、やり込めて謝罪・賠償させたいなど非カタギの特殊な考えの人を除き)。

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エミール・デュルケームの「自殺論」と自我・欲望の肥大によるアノミー的自殺:近代人はなぜ豊かになって自殺率を高めたのか?

21世紀においても、自殺問題は純粋に個人的・心理的な問題(個人の性格・精神力・価値観の問題)と捉えられやすいのだが、この自殺問題の「個人還元的なスキーマ」を転換させた19世紀の社会学者にエミール・デュルケーム(1858~1917)がいる。

現代日本では年間自殺者数が3万人を大きく割り込んできたとはいえ、先日も小学6年生の女児が飛び降り自殺するなど、青少年と中年者・高齢者を中心とした自殺問題は現在進行形の問題として注目を集める。

しかし、すでに19世紀の近代初期のヨーロッパにおいて、自分で自分の生命を意図的に絶つ「自殺」は大きな社会問題として認知されており、近代以前の自殺発生率と比較して有意かつ劇的に自殺率が高まり、その原因や理由を求めて心理学者を中心とした学者があれこれ議論を始めていたのだった。

デュルケームの社会学者としての基本的価値観は、個人の自由意思や意思決定を軽視(無視)した「社会決定論」に近い。

デュルケームは個人の行動・思考は個人の外部にある全体社会に共有されている行為規範・価値規範の様式としての「社会的事実」に強く拘束されているという前提を置いた。

つまり、自殺もまた近代の社会的事実に拘束されたある種の統計的・必然的な現象に過ぎないというドライな観察者の視点であり、その傍証の一つとしてある国家・地域の年間自殺者数は概ねどの年も近似していること(変化するにしても緩やかな変化しか示さないこと)を上げた。

ある年の自殺者数が極端に少なく、ある年の自殺者数が極端に多いというバラツキがほとんど無いことが、自殺が社会的事実に拘束された統計的現象の表れであるとする。

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「理想の恋人・配偶者」でなくても恋愛や結婚には満足できるという話:人生における相互扶助と責任感

謙虚で満足を知り、地に足のついた家庭生活を続けられる人でないと理想の伴侶と理想の異性がズレる。家族・生活は日常と金銭、責任の範疇にあり、理想の異性は相手を特別視する非日常・情動、遊びの範疇にあるという明確な違いもある。

今の恋人・配偶者は「理想通り」? 恋愛は妥協しても…(http://mixi.at/agfQN1i)

理想の異性とは、現実の異性の魅力を、自分の幻想と陶酔によって割り増ししたイメージに過ぎないから、現実の相手を深く知り日常の一部になるにつれ、幻想は壊れ等身大の相手や現実生活に近づく。『顔を見るだけで幸せ・一緒にいるだけで何もしなくていい』という自分を下位に置く理想化や陶酔は長続きしない仕組みがある。

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20代の外出頻度の減少と70代のほうが外出回数が多い理由:若者がひきこもりという話でもない

20代の若い世代は「外出しなくても一定の友人関係があり会話・承認の欲求が満たされる(逆に疲れる)」もある。高齢者は外に出て地域住民や店員と触れ合わないと孤独な人が多い。

20代の外出、70代下回る=スマホ普及、自宅で完結-6割が「引きこもり」自認 (http://mixi.at/agfdN92)

若い時期の方が「まったく知らない他人と会話しよう・外出して誰かと触れ合おうという欲求」はないもので、「学校・バイトの知り合い、友人・恋人の範囲内」だけでコミュニケーション欲求は満たされてしまい、関係ないおじさん・おばさん(爺ちゃん・婆ちゃん)からあれこれ話しかけられると煩わしく感じやすい。

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スクールカーストの構造と心理について、 夫婦間・家族間の殺人事件の比率

○学校も大人社会も擬似的カーストはあるし、その上下にこだわって競争する人もいるが、重要なのは「自分の影響力が通用する相手」と「好まざる影響力を及ぼす恐れのある他者」と「不都合のないレベルの社会適応度・稼ぐ力」くらいだろう。

過酷な現代の「スクールカースト」……その社会的背景は(http://mixi.at/agftM4Q)

スクールカースト的なものも「集団内で影響力や存在感の強い個人・集団と弱い個人・集団」の分離なら、国や時代を問わず多かれ少なかれある。「いじめ・暴力や恐喝・無視や嘲笑」があれば解決すべき問題だが、大人が学生を見た瞬間に勝手に格付けするのは、当事者のカースト・力関係ではなく別の問題・好みである。

結局、階層的(カースト的)な競争・格付けは大人になれば「好きな人達だけでやる優越感ゲーム」になる。擬似カースト問題で屈辱感や劣等感を感じる人は「無理してギリギリの最低ラインで階層間の競争ゲームに参加している気分の人」であって、実際に差別や迫害があるわけではなくいつでも場から降りられるケースも多い。

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母子6人殺害の働かないDV夫の事件、 「500円玉貯金」についての雑感

○知人がDV関連の書籍を取り上げてたが、女性の立場だと、結婚は『知性・言語・自制心のない依存的な男』とすると、生き死にの問題になりかねない…。

<日立アパート火災>自宅に火、6人死亡 殺人容疑で男逮捕(http://mixi.at/ageg27X)

実際問題、この容疑者のようなガタイが良くて理性が弱く、話し合いができないタイプの仕事もしない男から、全面的に依存されて『俺と別れるなら死ぬ・殺す』とか言われたら、男のメンタルでもきつい。気が弱い人ならうつ病になってもおかしくないし、こんな男が怒鳴り散らして暴れたら男でも完全に制圧するのは骨が折れる。

女性に暴力を振るうタイプかもあるし、自分に非がある別れ話を素直に聞き入れるタイプかもあるが、『力で抵抗できない男と一緒に暮らすこと』を考えると、絶対に暴れない素直に言うことを聞いてくれる男でないと嫌な女性の意見も分からないではない。直情や粗暴、勤勉の第一印象はあるが、切れる人を見極める難しさもある。

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