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“ネット・読書・映画”をはじめとする頭を使うインドアな活動も好きですが、“登山・ランニング・ロングトレイル”といった身体を使うアウトドアの活動も好きです。 『社会科学・人文学』の知見をベースにしてますが、世の中や人間、精神、自然、ビジネスに対する興味関心をあれこれ満たせるようなコンテンツをちょこちょこと書いていきます。 毎日を楽しく有意義に過ごすための『楽観主義(オプティミズム)』と悲観主義に陥らない程度にリスクに備える『現実主義(リアリズム)』とのバランスを取っていきたいなと思っています。

“なぜ人を殺してはいけないのか?”の問いから人間社会の倫理と法、個人の心理を考える。

生態系の食物連鎖や同種間の生存闘争がある自然界では、『他の動物を殺してはいけない』という法律や倫理観はないが、動物も基本的には同じ種の他の個体を無意味に殺すということはしない。

動物も群れを形成したり、他の個体と協力することによって『生存適応度(天敵から殺されずに済む確率)』を高めているが、人間(ヒト)という種は特に、他者と協力して生産・防衛・コミュニケーションをする『社会形成(共同体構築)のメリット』が大きい種である。

誰も答えられない?「なぜ人を殺してはいけないのか」 その理由を弁護士7人に聞いてみました

『社会集団を形成しない単独のヒト』は他の動物と比較しても余りに無力であり、『仲間同士の信頼・協力・互酬性』を上手く築けなかった集団は歴史的に滅ぼされてきたと考えられるが、仲間同士の信頼・協力の基盤にあるのが『人(仲間)を殺してはいけないという殺人禁忌』であった。

厳密には、内戦・内輪揉め・身分差別(無礼討ち)の絶えなかった近代以前の時代には、『人を殺してはいけない』は『仲間(ウチの人間)を殺してはいけない』に近い規範であり、現代の人権思想ほど『すべての人間を絶対に殺してはいけないという普遍的な禁忌性』は持っていなかった。

人を殺してはいけないという殺人禁忌は、『罪悪感・共感性・想像力が生み出す倫理観』と『誰もが殺されたくないから、それぞれが他者を殺さないと約束する社会秩序(社会契約)』によって支えられている。

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国民・政治家の世代交代の進展、『終戦記念日(不戦の誓い)』の緩やかな変質:米国の戦勝に寄りかかる東アジア諸国の歴史認識とコンプレックス

戦後日本の平和を支えてきたものとして、日本国憲法(9条の平和主義)と日米同盟、米ソ冷戦構造(核抑止力)、経済大国化(暮らしの豊かさの上昇)があるが、それにも増して『日本の重武装・9条改正・右翼性・戦争参加』を抑止してきたのは、『アジア太平洋戦争(大東亜戦争)で家族の死傷・飢餓と貧窮・不自由と国家権力(軍)の横暴を実際に経験してきた人たち』であった。

終戦記念日:69回目の夏、平和誓う 武道館で追悼式

軍隊生活の理不尽な上下関係、兵站を無視した行軍・現地調達の過酷さ、ジャングルや島嶼での伝染病の苦しさ、飢え死にするほどのひもじさ、庶民(部下)を見捨てて戦後に責任逃れをする卑劣な戦争指導者や上官(教員)への怨嗟、権力や軍部からの強制と隣近所の相互監視、嘘で塗り固めていた大本営発表と戦地の現実など……それまで戦争の大義名分・利益強調と天皇崇拝の国民教育(非国民として非難される恐怖)によって目隠しされていた『戦争の本質・大衆の本音・庶民の犠牲』が敗戦によって溢れ出てきた結果が、もう戦争はこりごりだという戦争放棄(国民を徴発して無謀な戦争を遂行した国家権力への不信)であった。

それまで、日本人や大和民族、天皇の赤子(臣民)として『仮想的な一体感・忠君報国の義務』を持つとされてきたが、『日本の政治家・軍部・官僚・財界の上層部』は戦時中にも飢餓や貧困、戦死(戦地での餓死病死)と無縁だった者も多く、無謀で危険な作戦を計画立案した将校がのうのうと生き延びていたりした(戦争末期の現場からかろうじて逃げ出していたりした)。

この現実を見た庶民・兵卒の中には、『同じ日本人(一君万民)という一体感』は実際には幻想であり、無位無官の力を持たない日本人に危険な仕事を愛国心(臣民としての誇り)を理由にして押し付けていたのではないか、政治指導者をはじめとする上層部は『庶民の生命・権利』を軽視していただけではなく、交換可能な部品のように武器・食糧もない戦地に無意味な兵員投入を繰り返したのではないかという不信・憤慨でもあった。

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東海大四高(南北海道)の西嶋亮太投手のスローカーブ。トリックスターのような緩急・表情・明るさの受け止め方。

九国大付属高(福岡)と東海大四高(南北海道)の試合は偶然リアルタイムで途中まで見ていた。序盤はピッチャーの投げ合いで、双方にタイプの違う先発ピッチャーを出してきたが、九国大付属のほうが重さのあるストレートの力で押す投手、東海大四高の西嶋亮太投手は『球種の多さ・緩急の変化・コースの低さ』を売りにしたテクニカルな投手という印象を受けた。

東海大四高(南北海道)の西嶋亮太投手のスローカーブ。トリックスターのような緩急・表情・明るさの受け止め方。

西嶋投手は次にどんな球を投げてくるかが読みにくく、高めの甘い球を殆ど投げてこないが、スローカーブや表情・動きなども、高校球児らしい正統派のスタイルというよりは、トリッキーな陽性のムードメーカー(相手にとっては感情を揺らす刺激)といった感じである。

ストライクも低めぎりぎりが多くそれで見逃し三振を稼いだが、フォークのような低めに落ちる球も決め球として持つ。バッターとすれば低めの球がストライクにくるかボールになるか(落としてくるか)の見極めが難しい。フォークをまともに当てたバッターは殆どいないので、ボールになるフォークと思って見逃すと、その時に裏をかくぎりぎりのストレートが来て三振になるバッターが多かった。

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男性の好きな女性の体型(スタイル)を類型化してみた:ナチュラルとグラマラスとストイック

『適度に節制のある生活で作られた健康的な体型(ナチュラル)』『メリハリと量感のある性的刺激が強い体型(グラマラス)』『運動・努力で作り込んだ体型(ストイック)』、一般に魅力的とされる体型の類型化。

男性が本当に好きな女性の体型⇒なんと第1位「標準体型」第2位「ぽっちゃり」!

標準体型やぽっちゃりは、上記の分類では『適度な節制のある不健康・怠惰ではない生活+その人らしい遺伝的骨格に見合った肉付き』のナチュラルに相当する。大部分の人はこのナチュラルで満足するというか、好きになった人の体格がよほど好みから外れていない限り、ナチュラルな女性的身体の魅力として認知される事になる。

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まんだらけが万引犯の公開を中止:民間企業・個人の『私的な公開捜査』と社会的制裁は許されるか?

個人がマスメディアのように情報を拡散できるネットと罪刑法定主義の相性の悪さ。まんだらけで窃盗をした犯人は悪いが、窃盗罪の法定刑には『肖像を晒す継続的な社会的制裁』は含まれておらず、犯人特定と社会的制裁を区別できない。

まんだらけが万引犯公開中止、警視庁の要請受けて方針転換

犯罪者だから個人情報も人格権・名誉もないという意見もあるが、そうなると不起訴処分・軽い罰則になるような事例でも『(ネット上の肖像のコピペ氾濫で)社会的生命の抹殺・社会復帰の困難』が起こり、複数の犯罪の量刑の重み付けや罪刑法定主義、法の前の平等原則が意味のないものになってしまう。

まんだらけのように『ネット上での話題性・注目度が高い窃盗』と『一般的な店舗で捕まって地域で処理される窃盗』との間で、実質的な社会的制裁(名誉毀損・社会復帰困難)が大きく違ってくる『罰則の不公平さ』の問題も出る。

『私的な公開捜査』を容認すれば、『冤罪・誤認・私怨(嫌がらせ)』があった場合でもその責任追及や原状回復が困難になってしまうだろう。

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すき屋を運営するゼンショーの業績悪化とアルバイトの応募が集まらない問題(人材不足)

ブラック企業は『過酷な労働環境・低賃金(非キャリア性)・雇用保証の弱さ』の組み合せで生じる問題である。すき家などの外食産業は、『フルタイム・長期のバイト』を主力にする必要があるにも関わらず、待遇がいまいちで将来の不安もあるので人材が定着しない。

ゼンショーの業績悪化、他の外食産業も他人事じゃない?

夜間の一人勤務は、強盗に入られやすいなど従業員の安全・生命に関わる問題でもある。『従業員の給与=コスト』と見なし、給与をできるだけ削減することが経営改革やリストラクチャリングと思っている会社は、今後の先進国では従業員の確保と事業の持続性が危うくなる。

90年代までアルバイトの主力は『フルタイムで働かなくても良い・好きな時間に働きたい・学業や家事の合間に社会参加(小遣い稼ぎ)もしたい』という学生・主婦だったが、近年はバイトの募集であっても『本職の一部・生活費(家族の扶養)のため』という本当にお金が必要で仕事の持続・将来も心配する層が増えている。

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